努力を惜しんだポイントに足元を掬われる

 活字媒体であるこのブログも、今日はやる気をなくした朝から考え直している。

 書くことでかばおうとしている自分自身というのが恐らく末っ子(弟がいるが年が離れていて、従姉と姉の4人の中で末っ子として育った)で、お兄ちゃんお姉ちゃんに先を行かれて良いところを取られて、しかし甘えるんだけど最初は優しくても長い目で見ると冷たくあしらわれている部分もある。それに24歳からだけど母親の別居とか姉の結婚とか弟の上京で家族の中でいちばん憎んでいたと言っても良い父親との同居で、一緒に住む中で父親の良いところも見つけたが男同士で俺が何処かオカマ役なり子供役で居ることで平穏を保っているが、そのことに対するやり場のないストレスなど、まあ発言小町とかで過ぎ去ったネット愚痴みたいなものをこぼせばよかったっていまこぼしてんだけど、もうちょっとカッコイイ「ギター頑張る俺」みたいのを書こうとしたかも。

 まあギター頑張ったと言っても1日5分を毎日、何をやってきたかと言うと手帳の写真右のようなコード譜を見ての弾き語り、リズムギターボーカルだ。

 これはこれで頑張ったけど、上達のペースは芳しくなく、歌の楽譜とギターの楽譜ではなく耳で聴いて覚えた歌を歌いながら、目で見て覚えたコードを手癖で添えている。

 まあ、ニコニコ動画などにアップしている歌ってみたで、完成度のほどというか感想はまあ普通の人はテレビやラジオやオーディオで最高峰のプロの演奏に聴き慣れているので、素人と思って大目に見てもらっての視聴に甘え、現在プロ収入は42円。

 努力は報われると言いながら、大した努力をしたわけでもなく、14年を超えてから、今更にアルペジオでの弾き語りスタイルで出来ることが出来ず、またイチからのつもりで練習を積み立てることとした。得意のスタイルなら自慢になる相手もいるかもだが、部屋でポロリポロリと下手くそに弾いていると通りかかる小学生にも笑われているような気になる。だが、それを辞める理由にすると上達は無い。ある程度の練習でサマになることだけを選んで基礎連にごっそり抜けている部分があるのだ。

 まあ、それだけの話。努力はそれはそれで実ると言うと何か技芸が身に付くという意味でリズムギターは出来たわけで、それが収入に結びつくかと言うとまた次の段階の話であるから、収入が42円だから報われなかったと因果を結ぶと、出来るようになった部分のギターについては無視することとなり、それはそれで非論理なのだ。

 もちろん、アルペジオが上手くなったら収入に結びつくとかそこまでは考えておらず、レパートリーを増やす過程で必要なテクニックで出来ない事があり、練習の時に響く音がポロリポロリと貧相なので人に聴かれる環境では恥ずかしいという事がネックになっている。

 だがまあ、大ボリュームで恋歌を相手もいないのに歌うことを恥じなかった人間の恥じらいのポイントがギターの音色を笑われるところにあるというのが自分でも可笑しい。こういう自虐そのものをネタにしているバンドが金爆先生ではあると思う。あのバンドをテレビで放送されるのにも何故か気恥ずかしさがある。

 活字でノンフィクションを書いているつもりが無意識の脚色があり、そして写真なら見えているリアル、動画ならリアルタイムがあるわけだが、世の中の動画が画像編集や音声合成を使ったフィクションであるという常識を知らずに自撮りをそのままアップしてそれで仕事をした気になってきたというところもダメなポイントだが、活字媒体としてやってきている中で、自分の活字を見直すこと。自分で自分についているウソを見破ることで進歩になるなら、努力は実ると信じたふりをしながら、一向に付いていない自信に対して、誰かからの後押しを求めているのに、ひとりも肩を持ってくれる人が身の回りにおらず、SNSでの傷のなめ合いに夢中になっていたのだろう。

 SNSやニコニコ動画で見てくれる方ではなく、家の近所の人ともうちょっとマトモな関係を築きたい。それが子供の頃からこじれにこじれて、落としどころが全く見えない。自分も相手もどこか意固地になっていると思う。この町では素直な子供もすぐにひねくれる。こうして活字にするとまた俺の方もひねくれるのだが、人が素直に心を開ける音楽を自分が奏でられるかというと、まさに琴線という言葉があるようにどんな人にどんな音楽が響いて行くかは分からないところもあり、それで俺が目指してきたものが自分の中から湧き出た音楽ではなく、市販の音楽の万人受けの中から自分の好みとも被るものを真似たくらいの事で、繰り返しになるが1日5分くらいのこと。

 その行動範囲を考えると、やったことは実っていると思うから努力に裏切られたとか言うとウソになって、惰性のカタマリなのだが、笑われる練習も受け入れて、その上で技芸として実るのは今までのペースから考えてもっと先だと思うのがもどかしくもある。今は出来ていない自分を認めて、次にどういう風に弾きたいか。

 いま、ブログ書いてどうにかなるかと考えて手を止めてギター持ってまた練習したが、もう続ける俺を笑う人はいなくなった。子供でもだ。まず歌のメロディをそのままギターで弾く練習をするのだが、アルペジオの弾き語りがどのように成立しているかを音楽理論とかの読書知識で考えたときにすっかりゼロなのである。

 コード、リズムギター、ボーカルで頭が出来ていて、対して歌は体で覚えて、ギターは理論を手癖にしただけだから、どうしてフォークソングのようにポロポロ弾いて歌と絡んで音楽として成立するのかというところが全く分からない。俺に関して手探りだ。

 だから、練習しだしてもちっとも曲という感じにならず、笑われても仕方ないと思う状態で、自分でも不安だから人の笑い声が余計に響くのだ。

 まあ、歌を歌ってギターを弾いて椅子を回してパソコン机でブログを書いているわけだが、パソコンで何かズルをしている、パソコンで音楽をかけてギターを弾いたふりをしているとか、パソコンで人のギター動画を見て盗んでいるとか、あらぬ噂は後を絶たないが、だんだんそういう人も減ってきた。そもそも俺がこのブログの主であるとして、ゴーストライターとかではなく俺が書いていて、ギターも歌も俺であるという認識自体が広まるのに十余年かかったのだ。信じたというか、疑うのを諦めさせたというか、証拠の取り方ばかり考えたが、インチキも考えた人の加工動画の方が人気なのが悔しいところではあるが、やろうとしているところがそもそも俺の場合は生演奏なので、ネット人気のいっときの事というか継続的な性質ではあるが、それは意図しない。

 それで練習して出来るようになったと言って良いのか、今のレベルになるだけでも十数年が経っていて、流行歌を追えなくなり、古い歌がレパートリーとなっている。

 だからして歌いたい歌はもう決まっているのだが、それが自分のテクニックの範疇で出来ない譜面であることが分かって、ひとつ前進しようとしている。前向きに。

 今までより、歌をもう一曲、ゲームをもう一本、誰かが待っていてくれるような感覚が確かにあるんだ。期待には応えたいが、俺のやる気とも相談なわけで。

 もう無限にやる気がわいてくるわけではなく、全部辞めちゃってもとも思う。

 何ならブログだってやめてしまうおうかといちど消してしまおうかくらいに思った。

 けどやっぱり、書いたらスッキリして、書いた以上は誰かに読まれた方が未来がある気がする。奥さんや子供がいないからネットに書き込むしか趣味が無いのだ。

 理想を言うと、バンドでギターが上手くてお子さんがいて子供の頃からパパに教わって超絶上手みたいなのもSNSで見せてもらったが、自分の場合は近所の子供に笑われることもあるくらいなので、そうは行かないだろうというのが積極的な婚活へのためらいともなる。

 けどまあ、パソコンだけが特技とかそれ以前のゲームプレイだけが特技とかよりは数段マシだと思っている。イマドキはゲームで賞金取って結婚とかもあるらしいけど。

 そこは選べなかった道なので、選んだ道であるギターの稽古をへこたれて休む自分を許してくれる人でないと一緒にいて辛いだろうなとも思う。


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