時代遅れの議論を展開しているのですが

 まあストIIダルシムなのはインドという事で仏教発祥の地、奈良学園中学と言えど奈良県民には東大寺学園のほうが親近性とか崇拝度が高く、お寺や仏教が偉いというところで面白キャラ笑われキャラであるダルシムの勝ち台詞に「悟りだ!悟りを開かぬ限りおぬしに勝ちはない!」とかまあ、ちょっとは間違っているかもだけどそんなことを言うのを仏教布教のようにストIIダルシムで勝つことは奈良では善だったんです。

 それでまあ、専門学校行ってた頃に専門学校生ってどんな感じ?というイメージで、なんかコンピュータの専門学校が面白いところだと思ってもらおうというか、おしゃれなイメージになりたいというか、その時に思い描いた「自由」をテーマに髪の毛の色を変えたりしてたんですよね。色々変えて結局金髪に青いメッシュを入れたらちょっと緑っぽくなった。2年フリーターをしていたので21歳だったんですが、19(ジューク)というポップデュオがテレビでデビューして、流行に敏感でないCG科の先生でも「デビューしたらしいな」とか冗談を飛ばすくらい目立っていました。しかし道頓堀あたりで遊ぶと宗右衛門町のホストクラブが近いので、ホストという噂も付きました。

 その頃に「なんでダルシムなん?」というのは良く言われ、そのままじゃダメだと思ってストZERO3はナッシュにしていると新発売のストIII3rdにはレミーが、餓狼MOWにはロックが入って、しかし時の人というには後閑のコスプレさんとかと混ざってしまって、先行してオシャレをしていたつもりがツーフーの兄ちゃんに混ざりました。

 それから就職活動で資格を取って一般企業を考えたときに一度頭を丸め、つまらないやつになって上本町のメディックスに半年ほど勤めます。近所にJOYBOXというゲーセンがあって、そこでストリートファイターを遊んで勤務先はゲーム会社ということでしたが、周りの人も占いとか、多分以前にはエッチなゲームとか、競馬とか、そういう会社だったので「ゲーム会社」としか言わずにカプコンSNKと間違ってもらいたいみたいな空気でした。しかしまあ、俺が3ヶ月ほどの見習いを経て任された風水のゲームがそこそこ当たったらしく(といってもパソコンゲームで200本でヒット)それから料理屋でひとり3000円ほどの予算というか、いくらかかるか怖々とちょっとずつ料理を注文して、お酒をいただいて、4人で飲んだことをよく覚えています。

 それから貯金で遊んで、金欠になった時にハロワから有限会社フリーライフの紹介を受けて、梅田で働いている竹山社長(故人ですが)に喫茶店で面談をしてもらい、谷六あたりでもう一社株式会社パートナーの仲介でユニオンシステムへの勤務が一撃で決まるわけです。狭い業界、風水ゲームの次は建築関係。免振設計専門の会社です。

 それから、テレビではホリエモン報道もありましたが、杉村太蔵という議員も登場しました。19の時ゲーセンの清掃をしていた男が何故かスーツを着て谷六を颯爽と歩いている。テレビでは清掃員が立候補して当選したというシナリオになっていました。

 40歳まで会社を何度か変えながらも、プログラマシステムエンジニア、ITという形で働きましたが、常に政治とのかかわりが意識されてきました。本人としては無関係だと思う部分もありつつも、高校の時の選択社会が倫理政経、そして勤務経験ありというのが特に労働基準法まわりでブラックな職場で文句だけではなく法務局に通って時間外労働や有休など労働者に有利な働きかけをしたことで、野党よりの人気がいつの間にかついていました。

 お世話になった職場の方からも「仕事している人が悪いんちゃう、政治が悪いんや」という意見は何度もいただき、本当に俺の見てきたIT業界というのはハードウェア寄りの職人さんか、派遣の日雇い感覚の従業員、片言の横文字ばかりで何を言っているのか分からない専門家にコンピュータの顧客となる大手企業からの日本語からしておかしいような設計書。

 それでも俺の持論は投票はその一票の価値自体ではなく、当選した政治家が議決の一票を持ち、結果としては法案が通り法律が変わることで世の中が良くなって意味があるのであり、勝ち目のない野党に票を投じるより自民党にまともな法案を出す方が大事という、そういう路線で行くと、結局は田中角栄のコンピュータ付きブルドーザーとか岸田内閣の所得倍増計画のさらに倍みたいなかなり時代遅れの政策になってしまったようです。五輪と万博の誘致とかも、社会の再現性というのが本当にあるのか社会実験したいという探求心から来ているものです。良かった時代と同じことを。バブルもそう。

 んで俺の議論が古いとして、新しい議論とか女性による政治とかが言われていますが、朝の討論を見ていると、国の投資利益を介護や子育てに回すというお金の話ばかりが為されており、万博も見る人は良いけど建てるの大変だったよって負の側面が際限の話の後から噴出していて、結局介護や子育てってヘルパーさんとか保育士や教員にしわ寄せが行くだけの話で、一見進んだ議論はひとまわりのオブラートに包んだ丸投げの論理なわけで。

 俺の住む大和郡山市も老人が多くて深刻です。エスカレーターに乗ったりカゴを持つのが大変な老婆がどうにか弁当をひとつ買い、レジのおばちゃんが実質介護のように送り出して買い物を済ませる様を行きかう人々が見殺しのようにやり過ごすそんな町です。俺もどうしろとと言われると困ってしまうのですが。

 近代化や合理化の流れの中で生きて行けなくなる人に自分もそのうち含まれる。

 なんだか空恐ろしい想像を時々してしまうのですが。

 赤ら顔は睡眠時間を長めに取ると多少はマシになりました。

 後ろ姿からたまに女性と間違われますが、最近はそんなことも減り。散髪は自分でハサミを持って鏡二枚でしています。

 鉄拳5はストレスがたまるのでお休みしています。レトロゲームも物価高のあおりを受けてものすごい値段となっていますので、手持ちのゲームを遊びます。まあ活発に売り買いが為されて値段が下がって行くのは、ゲームはそれひとつでは満足できず次々に消費するものという観点からの消費行動ですが、ひとつをじっくり遊ぶのなら手にしている時間が人それぞれに長くなり単価も上がるというの、単に景気判断としてのインフレデフレ連動ではなく消費動向の変化と受け止めています。


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