議論の前に平等と公平の確認をしておこう

 以前にSNSで議論がなされた時に平等と公平の違いについて、野球をフェンスの外から覗こうとした外野の背の高さと踏み台の高さで図にしたものが流れてきた。

 俺の落書きで申し訳ないがこんな感じだ。

 誰しも踏み台の高さが同じなのが平等で

 頭の高さ(目線の高さ)が同じになる踏み台の高さが公平だ

 まあ背の高さ(目線の高さ)は野球を観客席のさらに外から見るためという条件があって、それに必要十分と言う所から踏み台の高さはそれ以上必要ないし、足りない人には上げてあげるべきみたいな論理が成り立つんだけど、これを安直にお金の分配として現資金と給与の関係などを調整しろというのは、何かが違う気はする。

 その昔に一緒にメシを食った友達の彼女が「ケーキを五等分するアプリを作りたい」って言って皆が「ハァ?」という中、俺が「ビールの企業間シェアみたいなのをプログラムで五等分できないかって事だろ?」というと頷いて、しかしその後に俺が「それはアプリなんかじゃ無理無理!」と言ってすごくガッカリさせたことはあるんだけど、俺がプログラマーでそんなアプリは無理と言ったのが独断だったと振り返る。

 そんでそこらへんの議論と言うと毎日のように国会でされている与野党協議をすっぽかして民間でアプリで出来たら苦労はないと思うんだけど、毎日国会見てるともうアイツら放っておいて民間で先にアプリで詰めた方が速いんちゃうかという友達の彼女案も捨てたものではないというか、それに先んじて平等と公平の定義はしておこうと。

 まあ英語で言うとイコーリティ(イコール、等しい、ね)とフェア(審判や警察)だと思うのよね。マルクス主義に傾倒している人も、やろうとしている事がイコーリティじゃないかという気はするね。フェア。何から始めたら良いだろうね。

 マルクス主義も机上の論理から出発していて、資本が工場で工業生産と労働制手工業などで生産性を比べて工場が連合で同一賃金同一労働なのは分かるんだけど、農業とかもロシアはソルホースだったけか、国営で平等分配を考えた。日当たりや農地の広さとか色々あるじゃん。けど全部が小麦ってわけでもないし、種まいてお日さん当たったら植物が伸びてくんのを工場で人が手でモノ作るのとどういう軸で平等に分けんのって言ったら、そりゃ工場は人数分か世帯分、農場は全員分、押しなべて平たくするしか考えようが無いのも分かる。

 そういうことを脇にどけてお金の話にするのも飛躍だし、議論は進まない平行線になるのも軸がハッキリしていないからだともいえると思うのよね。

 このへんイギリスはポンドヤードで厳密にケチケチしているけど、ロシアはそんなことくらい目をつむれで細かいこと抜きで平たくしていると想像しています。

 最初に言ったように公平で台の高さが変わるのは「野球を見るため」という共通の目的を背の高さで叶う人とそうでない人に分かれるから、目で見て測れる身長と台の高さを合わせたという話。俺はその意味で体がデカくて平等だと食い足りないと感じるタイプ。弟はそのぶん痩せてんだけど、俺はおやつで補うし、姉なんかは食ってウーロン茶で痩せようとするタイプだった。

 余談になるけど俺もウーロン茶試すと、スーパーの買い物を見て「食う量減らせ」という圧は周囲から感じている。

 ただまあドラクエⅤあたりで「学者さんも頭を使ってお腹が減るのか良く食べるのよね」みたいなセリフがあって、戦争中に餓死しないコツは何も考えようとせず無の精神で次の助けを待つことだったようなことも併せて考えると、ケーキを五等分するアプリにも開発費用は掛かり、そのオーバーヘッドがあまりに大きいと共産圏で政治家だけが大儲けみたいにコンピュータ技師を全面的に信用してくれるのかみたいな問題は出てくると思うし、等分を求めたり管理したりすることにタダ飯食うのはどこまで許されるかと。

 簡単な話、誰のケータイにでも付いている電卓アプリで小数点以下を気にしなければあとはグラム秤くらいでケーキは五等分出来るんじゃね?とは今更に返したい解答だ。

 それでもやりたい議論があれば、国会でもSNSでも毎日どこかでは白熱していて、しかしどこかではシラケて見守っているか無視されている。そんな話でした。


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