今日の遊戯王DSNT(異世界の女戦士を引いたよ)

 レベル21の段階で「もうこれ以上は無いだろう」と思ったがレベル22で新セット。クリア後のお楽しみがあるのは良いが「まだ集めろというのか」と嫌な気分。

 それでも「異世界の女戦士」を引いたことでもデッキはちょっとパワーアップしたと思う。前のバージョンの地雷蜘蛛3ゾンパイア3は「理屈の上で」強いはずというところで採用したが、デュエルすると勝てるんだけど常に辛勝の感じで、勝率以外に「圧勝・辛勝」を比較すると、圧勝を味わえるデュエルの方が俺の好みではある。

 まあだからして、まだもうちょっとやり込む余地はあると思って、ちょっとする。

 だがこのレシピは「理屈の上で」を始める前に体感で組み替えてきたデッキとほぼほぼ似たようなレシピではある。飽きるほどやったような圧勝ゲームに戻った感じだ。

 余談だが、俺が小学校の頃に親戚の兄ちゃんに誘われてファミコンソフトのファミリーボクシング大会にレベル63のパスワードを持って自信満々で挑んだら、そこにはいい年したおじさんたちのレベル99同士のバトルがあって引いた記憶がある。

 このことを笑い話として格闘ゲーマーに話した時に、カプコンVSSNK2で子供が遊ぼうとしたらKブラサガばっかりだったという話を類推させるたとえ話として受け止められ、何なら作り話であるとさえ思って聞いている節だった。

 何なら、俺は二十歳の時にゲームボーイドラゴンクエストモンスターズテリーのワンダーランドを常に持ち歩き、Vジャンプを読んだ年下の同期にスライムのマダンテでひとたび敗れ、それから全員マダンテというチームでリベンジし、相手をしてくれる人のいない状態で大阪日本橋ソフマップでの大会に臨んだ。決勝で当たったのは同チーム対戦。子供たちが周りで見守る中、チェックのシャツで猫背でメガネでいかにも理科系もしくは工業系のおっちゃんと、金髪で黒服でホストと笑われていた風貌でのドラクエ対決であった。引き分けで時間切れを迎えた後に司会進行が「はい、ここから1体先に倒した方が優勝」と言われ、すごく後悔をしていた。どうせ時間切れならと制限時間いっぱいでマダンテを放ち、一体のモンスターが大防御できなくなっていたので、必然的にマダンテで負けだ。勝った相手は司会の兄ちゃんと何か話をしていたが、雑誌にのっていたはずの決勝大会はいつの間にか雑誌社対抗戦となって、フィクションなのだろうという解釈となった。

 その意味では、近年の格闘ゲームのEVOなどはノンフィクションというか、ファン参加型ではある。その実、賞金大会と言っても参加料が取られ、客席も売れて普通の興行である。そうなると、行きつく先は競馬などの公営ギャンブルで参加料や客席料で利益が出るようなギャンブルは参加の期待値が低くなり、計算するとしなくなる。

 ただ、歴史がある時には記録でも、長い時間をかけて逸話とすり替えられていくとして、その逸話が作り話だから信じないとするならば、確率計算をして負け率の方が高いギャンブルというのも数学という抽象思考の上に組みたてられた不戦勝もしくは不戦敗の論理なのだ。やるだけ損だからやらない方が勝ちと言って、出ないで負けている。

 そうすると出る人は出て当たった人は当たるわけで、その当人からしたら確率論なんてのはフィクションで「俺は出て勝って得た」というような新しい話が出来上がる。

 だが、その他の人は負ける。当然の摂理に思えるのは、それまでに幾多の経験があって辛抱に至る論理があるからで、その話で若い者とか未体験の者に辛抱を強いるのは退屈な歴史を学べというような無理強いの辛抱というか、我慢の強要とも言える。

 そうするとゲームの攻略に確率を持ち込むというのもねじれた話であると思うんだ。

 まあやり込みの度合いで言うと、クリアは余裕で越しているわけで、まだの人からすると恐ろしく強くはなっていると思う。だから勝てる負けるという意味では勝てるのだろうとは思う。ただ、トップオブザトップを目指す時に役立つ論理が示せているかと言うと、ギャンブル性のあるゲーム展開で、イカサマほどの効力は無いかもしれない。

 俺はゲームソフトの脱法コピーにも手を染めたことがあって、雇われの身分でヒットタイトルの開発(メーカーから開発会社にプログラムが委託される)などで給料を受け取り「もうお金を返したでしょ」と諫められたのだが、これも良く考えると労賃であり、俺はとしてはゲームで勝ってゲーム雑誌に載って賞金のカタチで返してもらってヒーローになりたかったわけで、こんなブログじゃストレス発散にもならないし、昨今のトレカの市場も古物商が跋扈してカード一枚カネで買おうにもストレスのかかる高値をネットで見せつけられている。

 そのガマンを、文章化することで読者に押し付けてしまっては、それは読まされる方だってつまらなく「買って出場して勝って得た」という話の方が当然読んで面白い。

 ただ、そんなことを創作でやってしまっては負けだとも思う。ジャーナルとして。


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