公平だけど優生思想でもあった高校時代

 昨日おとといとスーファミストIIターボをプレイして、今日は不意にスピッツのチェリーが頭ん中で流れて、譜面を見てギターで歌った。歌う以前に「チェリー」とは「さくらんぼ」そのもの以外に童貞の隠語でもあるので、後者の意味に勝手に捉えて嫌悪感を抱いていたのだが、Cメロ「悪魔のふりして囁いた歌を春の風に舞う花びらに変えて」で歌詞のどこにも出てこない「さくら」を歌った歌だと解釈するようになった。もっと「さくら」を歌った歌はいっぱいあるし、春の歌ならそのものズバリ「春の歌」があるわけだが、このちょっと隠語も暗喩もこもったポップになる前の草野マサムネが好きだったなと思う。

 そうして、不意に思い出したのが、受験のことだ。俺は高3で推薦の話が出ていた。俺は小学校の5年から塾に通っていたが、塾の宿題は一度もしたことがなく、夏休みも宿題を貯めて、遅刻も多く、高校は夏期講習をサボって東京にライブを鑑賞に行っていた。それでもテストの点は良く中学受験に受かったから私学に通っていたわけで、大学受験も同じように努力より才能で通るでしょと思っていた。ただ、推薦があったのは成績的には学校で真ん中より下だったのがセンターを基準にした模擬試験で案外成績が良く、高3の時は足掻いて勉強をするようになっていた。それで担任から「なんだ今頃になって勉強しだして。大学行きたかったのか?」と言われ「東京に行きたいです」というと「それで推薦欲しくて学園祭とか生徒会頑張ってたのか?ハハン!」と言われ「そうじゃないのに!」と怒り狂って「推薦なんていりませんみんなと同じように受験します」と言って、結果落ちた。

 それから卒業後はバイトしてから2年後に専門学校に行ったのだが、履歴書にバイトを職歴として入れないと2浪してどこにも受からなかったという会社の人事からの噂が出回った。

 言いたいことや苦しい誤解は山ほどあったが、それでも推薦を蹴ったのは俺が勝負は公平ではないといけないという信念があったからで、自分が受けた学校より偏差値が高いところに受かった奴は実力を認めても、内部進学とか推薦とか、低偏差値の私大にからかわれるのはプライドから許せなくて、そういうのはニセの学歴だと思って生きていた。

 その公平が果たして自分が熱中していたコンピュータゲームにあるか、というのは最近考え直している論点で、持論を出すと平等を掲げるフランス革命はそれ自体は暴力革命であったことだが、現代の日本の受験は純粋に学科試験であって、それはそれで受け入れている。


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