取り留めも無い話と気を逸らすためのMTG

 高校まで進んでから文理の別を考えるとき俺は文系寄りだったが親父の言で理系選択、結果破れてフリーターしてから専門学校に進む。コンピュータの専門学校を出てソフトウェアと言うと理系と考えられていた時代に森博嗣の理系ミステリを読んで理系力を高めたが、ゲームに没頭していたのがカプエス2の公式全国終了でその時に最後の2D格闘の大会と言われ、一回終わって落ち着いて、仕事が選べないのを勉強が足りないからだと解釈して本を読んでいた。

 だからまあ、文理の別というと工業過程専門士であって文系でも理系でも無いわけだが、周囲が理系人ばかりで影響は色濃かった。ただ、最初に書いたように俺は高校で受験の時に文系を選択しようと思うような生徒で、プログラミングも数理ではなくアルゴリズムやデータ構造を付けられた名前で文意で理解して書き進めるタイプだった。だから今でいうタイプスクリプトの文字解析系のが性に合っていたかもだ。コンパイラとか。

 だけどいつからか専門用語に侵されて、誰とも話が通じなくなり、病気に倒れた。

 かれこれ15年、服薬以外に続けたことと言うと、お世辞もあるとは思うが高校くらいまでは天才的と呼ばれた俺が眠くなる薬を飲んだ状態で頭が鈍くなった時にただの病人として出来ることのひとつに誰でも愚直にやれば成果が出ると言われた大嫌いな受験勉強だった。

 それでまあ、今でも服薬は続けているが、自分で言うのも何だけど頭は良くなったと思う。そして理系が全て理学かと言うと、理を全て数学にするならまだしも、理にも国語や外国語の要素はあり、理を文意でもって理解するというプロセスが誰しもあるだろう。化学でも気体ひとつ取って気と体を漢文解釈しているわけだし、物理学の重力だって重と力を漢文解釈している。医学書はその意味で横文字だらけで未翻訳の単語も多く、独習が難しいとされる。

 それでも理系が賢いのは、文系科目に対しても語学などは小中高を通した受験勉強で充分な基礎理解があり、しかしそれを忘れて文系批判をすることもあるのだが、言葉の所以とそれが文字で扱われていることも併せると、文系はそれはそれで無くてはならないと俺は考えるようになった。

 その中で、俺がMTGを始めた時は英語版だったが、ある日から日本語版ばかり買うようになり、先日は曜日の月曜日を思う時にB’zの「今夜月の見える丘に」を脳内BGMに闇夜を照らす煌々とした月を思い浮かべて「ああ月曜日だ」と思う代わりに「ムーン!」という単語がよぎった。

 続けてファイヤーと燃え盛る炎にウォーターで流れる青い川、どちらかと言うと森のイメージだったがウッド、そして金のきらめき、手掘りの土にまぶしい太陽を思い浮かべた。文字と体験が結びついたのだ。

 そうするとMTGのような遊びも無駄ではなく、俺の知性の一端を担っているよなと思うのです。Age13+のおもちゃを「子供のメンコか」とか「ビックリマンやろ?」という人もいるが、幼児の頃に親からの絵本の読み聞かせが無かったり足りなかったりした部分をいい年して遊んだトレカで幾分か補えたと思う。

 そこまでいって何だが、数理もそれはそれで出来上がって必要だとも思う。数で考える、長さや重さや量で考える。東洋医学の生薬と理系科目の有機化学とどう違うかと言うと有機物の定義は生きているものから出発しているので、薬効のあるなしを除けば有機物はつまりは生薬になるのだ。ただ、生きていると死んでいるに語源的には境い目が無く、同じように有機と無機に分けて考えられる化合物にも有機だけど生きているとは言い難い糖類があるわけだ。砂糖もトウキビから作られるなら生薬で有機物だけど、砂糖が生きていると考える奴はちょっとおかしいだろう。

 そんなわけで、こんな屁理屈をこねくり回しているのはそもそも懐かしくてポチリそうになったSFC版のスターフォックスをどう我慢するかという所からの話になる。メチャメチャ長くなるので、この話は割愛する。懐かしくて遊びたい以外に昔から持っていたものを失くした時に物証的に古物を揃えて偽証するか諦めるか、まあ探すという道も無いではないが、権力の象徴としての物証がある人からは憎らしく、当人としては頼もしいのだが、それは理学的にはどう解釈すれば解決してまた自分を納得させられるかというようなことでお金を使わない方法をずっと考えていたのだ。

 しかるのちにMTGで遊び、考え始める前には3DSで遊んだ。なんだよ遊んでんのかよ!遊んで物思いにふけってまた遊ぶ。今日はスーパーに昼飯買いに行ったくらい。


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