
トルネコ3熱はおさまって、とりあえず色々忘れているから最初からやってみて、そうです、クリア後のおまけデータではルーラで行けなくなる最初の村があったんです。なつかしいとか、もうそんなレベルではなくすっかり忘れている。新鮮でした。
人間が全ての事を覚えているなら経験の蓄積にも意味はあると思いますが、47歳まで来たら、もし何かをした分量をそのままの経験として思い出すと47年経って94歳になって死んでしまうかもしれない。そう思うと思い出なんてのは端折られたもので、それでも人は本を書いたりモノを残したりして文明を進めて近代に至るわけです。
そう考えると、こうして毎日くどくどと書いているブログの大半は読むに値せず、まあそのうちAIに要約されて誰か読むかもしれないし、何と読者が32人もいてくれています。まあ、少しは進歩しようとバーチャロンマーズをして寝ました。
結果は写真の通り9-1でテムジン&アファームド対ライデン&VOX-Joeです。9-1の結果が気に食わないとまでは言いませんが、10-0を目指すと進歩があるかもしれまん。
ただまあ、中学からの同級生の森川君はやや肌が黒く、別の小学校だけど小学校の能開センター4年5年と同じで6年で田中塾に移る時に親同士が話して同じ塾にしたらしく、そして同じ奈良学園中学で、友達として付き合うように母親と担任に言われました。
この頃は人種差別をなくす運動が盛んで、肌の色で差別してはいけないという逆差別だと今では思うのですが、まあ平等。公平だと逆差別ですが、平等。そこは分かります。同じ塾で同じ学校なら同じ人間になる、科学が未熟で個体差を超えて教育が人を等しくすると建前かもですが、そう考えられていた頃の考え方で、友達として放課後のゲーセンも同じでした。
しかし森川君は小遣いをもらっておらず、ゲーセンで遊ぶ俺とヨシイ君をいつも隣で見てヤイヤイと騒いでいました。ここが違いで、勉強が同じでもゲーム代が無かったのです。やらないで騒ぐだけの森川君はいつしか帝塚山のナンチャンとも仲良くなり、いつも勝つ方の俺の敵に回って野次るようになっていました。
俺はやらないで口だけの森川君に腹が立ちましたが、森川君は小遣いの差に腹を立てていました。分かっていた俺は親にSFC版のストリートファイターIIを買ってもらった時に「ウチで一緒に遊ぼう」と誘いました。しかし「なっなっ!みんなの前で負かして笑う気か?そんな勝負誰が受けるかっ!」と断ってきました。「そうじゃなくて一緒に練習したら良いやん、ウチならタダで出来るんやし」と。
今思うと、森川君が最初に「そんなゲーム同じようにやったら同じことにならんか?」という平等の理屈で、やらないで語るのに対して、俺は「目押しの精度とか個人差があるやろ」「めおしって?」「だからやらないから話にならないんだよっ!」と、いつもこんな感じでした。俺が言う「当たり判定」というやつも森川君だけではなく分からない人の多い話でした。
ゲーム仲間には肌の黒い人で互いに話が通じ合う人もいるので、向こうがどう思っているかは分かりませんが、俺は肌の色ではなくゲームの腕で人を差別してきたことには間違いはないと思います。
しかし、ゲームしない人でも差別していないかというと、森川君が鬱陶しかったのは肌の色が暗いからかもしれません。
もし森川君のほうがストIIが強かったら、野球は天理や智弁にさせておけばいいというような典型的な進学校のスポーツ差別になっていたかもしれないし、単純に肌のいろは線引きとして使われているだけで世の中には無数の差別があり、その原因を肌の色に転化することで甘えている黒人も結構いると思っています。
けどまあ、そう平等まで遡って、同じゲームを同じ小遣いで同じように遊んでいたら、俺は結果として米チャンプまで行ったけど、スト6でサウジアラビアの人が優勝したように、世界まで舞台を広げて国籍をまたいで実験しなくても、俺と森川君が平等の条件で勝負すればよかっただけの話で、学校以外にも多くの不平等があるのです。
今にして思うと、ムキになってカネを入れる俺にゲーセン店員が森川君に賄賂のようなものを渡して隣で煽って焚き付けさせたのではないか、100円もらえるから隣で煽ったのではないかとすら思っています。あとで森川君はおもちゃ屋から景品のゲーム機をもらっています。
友達に裏切られたというよりは、最初から強制された平等で母親と教師のいいなりになっただけで、友達になる要素は無かったので自然なことだと思うようになりました。
だけど全く会わなくなっても、俺の心には森川君のいなくなった場所が残っています。やいのやいのと騒いで焚き付けて来た、漫画デスノートのエルに憑いている死神のような奴を見るたび、傍から見たらああなのだろうなと思うのです。
そしてバーチャロンに戻ると、テムジン対テムジンなら5分だろうけど、それにもし勝率差があったらそれが腕だろうけど、それを出してゲーム研究をして何か成果が出ても、賭けるお金がいらないなら、待っていて成果が出てからそれを学べば平等になってしまう。そこを登録商標や特許や著作権みたいな権利の主張で守らないと、先に研究する意図は少なく、むしろそうやって利を守って先行研究に投資するのは進歩主義という皮をかぶった差別主義なのかもしれないなと思います。少し違うかも知れませんが。
成果の出る出ない如何はあれ、あとから真似て平等にするなら、研究も付き合って欲しいと思います。まあ、俺の方が既にひとりで折れてやめそうになっているのですが。