狙いは「当たり」で勝てると尚良し

 マジックザギャザリングはパックを剝いての「当てもの」とカードを繰って遊ぶ「デュエル」さらにデュエルで強者を決める「トーナメント」に分けられる。

 デュエルに勝つためにカードを際限なく欲しがって、当たるまで買うとお財布からお札が飛んでいくし、トーナメントに勝つためにデュエルをするとデュエルがゲームから仕事になってしまう。そして賃金もらってデュエルするわけではなくデュエルに勝ち抜いて初めて賞金なので、それは仕事として極めて歩合が悪い。

 そもそも何ゆえ遊んでいるかというと、ドラゴンが当たらなくてもパックには時々まあまあ大きなクリーチャーが入っていて、当てものとしての当たり感がそこまで悪くないと感じたから納得してデュエルをしだしたのである。そういう人のカラーリングは大抵が赤緑系であるのも長いことMTGをしているとキャラ分けされてくるものだ。

 というわけで、こんなもんで十分面白く遊んでいたんじゃね?ってところに落ち着いた。同じカードがそこまでダブるわけでもなく、有り合わせで遊ぶとこんな感じ。

 店番がてら居間でゲームボーイの「ツインビーだ!」を遊んでいたら、ゲーム観の変化を感じていて、子供のころホントに小さいときは負けても負けても気にせず遊んでいて、いつしか中古ショップで安く買い集めて「1回解いたらポイ」でその頃にはオールクリアをしたか出来なかったかくらいしか見ておらず、感想も「面白かった」「つまらなかった」でRPGでも数字しか見ておらずシナリオは斜め読み。シューティングも弾の数くらいしか見てなかったと思う。

 しかし、ポイポイとしてきたものにも綺麗なグラフィックと良い音楽は確かに記憶に残っていて、年食ってから面白いものを遊んだはずなのにどこかに忘れてきたと思うようになって。もっと少しずつ、じっくり味わえばと思ったことがあって。

 今日のツインビーも分身ツインショットだとすぐ勝ててしまうボスでも、泳がせるというか普通のショットで戦うと色々な攻撃をしていて、分身ですぐ勝てるのはそれはそれで戦うと手ごわいボスだからすぐ勝てると自分強いという快感になる。そしてバリアではなく分身でステージを進むのにボス楽勝を見越した算段とリスクのスリルがあるわけで。

 まあ、言うなればじっくり楽しめないほど生き急いでいたんだろうと。ひとつひとつは大きくなくともあれもこれもしたいってのが分散しすぎていたんだろうなと。

 その中で急ぐあまりに取りこぼしたものをひとつづつ消化していくと、パズルのピースが合わないとき良く似たパーツを無理に力で合わせちゃうような子供だったと思い出したんだ。それで歪みが出て瓦解するか行き詰ってやり直しになるか。

 ただ、絵を1枚求めて手に入れるのにパズルが安価に思えたけど組み上げるのに手間取って何やっちゃってんだろう、と思いながら絵を求めるパズルが案外気を長く持つと暇つぶしとしては楽しい時間になっていることも否めないという今日のひと幕。

 ツインビーもゲームであって3面越して4面ボスに負けたら3勝1敗くらいかなと思うと、まあクリアだけが全てでもなくまた次も遊べるなぁと思えるのよね。下手になった気がしたけど、上手くなってる部分もある。数分だけどゲームに熱中する感じも思い出せた。


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