息抜きにGB「ツインビーだ!」を遊ぶ話

 まあ先に結論を書くとパソコンで仕事してて息抜きサボりでふと欲しくなったゲームソフトをアマゾンで幾らか見て「我慢しよう」と思ったフラストレーションを何で解消しようかとなった結果がゲームボーイツインビーだ!で5面クリア後ラスボスに敗退。

 何が欲しくなったって、前々からファミコンパロディウスを中古の下取りで確か高校くらいで手放したことを今更に取り返そうかと思いきや懐かしい記憶がそれである程度蘇ったとしても俺が若返るわけではないし過ぎた時間は戻ってこない。

 ただ、何というか俺の進路は高卒~バイト~専門~就職~派遣と来てから仕事しながら勉強して、ゲームに横道をそれて大学に落ちたことが「失敗」ってそりゃ受験という尺度で見たらもちろん失敗なんだけど、それで大学を出てどうしたいとなると、ゲーム業界で働きたかった。ゲーム業界といってもパソコンゲームの仕事と、メーカーからの受注開発で名前を出さずにプログラムをするという仕事はしたけど、もっと上を目指してそのためには高い学歴がいるみたいな想像をしていた。

 けどクリエイターさんには「中卒でずっとやってますよ」っていう人もいるし、実際俺だってパソコンを持っていて、それで個人でゲームを開発して販売までの手続きもして、大企業に就職は出来なくともお金をもらえる見込みを置いて、自宅で没頭できればゲームのひとつは作れるのかもしれない。その現実が厳しい。

 その視点に立ってもういちど大企業の面白いゲームを見ると、販路拡大や広告でもって数を売るので多額の開発費が出ることで開発が機材人員工期の面で優位に立てるから出来る仕事で、ただそれを個人で追い抜けないかと言うと、そこは分からない部分もあって俺の良いわけでしかないのだろうなというのは小さなメーカーでも面白いゲームはあるから。ただ、それでも1本買って遊ぶのと作るのにどれだけの工期がいるかというのをすり合わせると、他の事でお金を浮かせて市販で買った方が安いのに、それでもコピー品などで利益を削られるという業界の厳しい現実があるなか、それでも大企業は利益を上げている。やっぱ上はエリートばっかなんだろうなという想像が働き上に戻る。

 それで、ゲーセンでパロディウスだ!の踊り子を見たときはエッチだなと思ったし、極上パロディウスのガブリエルを見たときにはその絵に微笑んだ。ただ、ゲーメストではシューティング大将がタイトーレイフォースではなくコナミの極パロになったとき、これは投票で決まったんだけど強いメーカー同士だとも思うけど、売れている方のコナミが100円でお客さんをちょっと笑かすパロディを作って、それがシューティングを投票するのにゲーセンのライトユーザを獲得して、ファンの推す硬派なレイフォースを抜いてしまったことを愚痴る批評が添えられて洗脳されたんだけど、あのあとスーファミの極パロでも買っておけば家で遊んで母や弟でも見て笑って楽しめたのではないかと。お兄ちゃんの趣味が変人すぎるという方向に行かなかったのではないかと。

 まあガブリエルのシールドの元ネタがタイトーダライアスでそのパロディがタイトーのゲームに投票人気で買ったというのがファンからして恨めしいのは分かるけど、民主的には極パロの勝ちなわけで、それを素直に受け入れず変な政治思想を背負って生きてきたことへの悔いが買ったゲーム1本の過去の選択ひとつひとつ改めたいという気持ちになっている。

 そう、過去を買おうとしているのだよなと思ってから、俺のお金は過去に使うか未来に使うか投資商品などの値段も一通り見てから、それでも100均で特殊なハサミを買って台所の日本酒の紙パックから1枚12円のベルマークを切り取るのにそれを使って、そういう生活の小さな節約と投資という大博打と貯金とか家計簿とか全部すり合わせてもお金が浮いているからゲームでもって気になるけど、これが買っても満たされず次々と欲しくなるし、欲しいものがあるのに我慢してするゲームが面白いかというとどこか勝つことに執着するくらいしか遊び方が視野狭窄になって、恨めしさすらある。

 そのへんが多分パロディウスとかすぐ飽きそうなんだけど、パッと面白くて華やかで、娯楽という意味ではゲーセン100円何回分相当かとかそういうケチな計算ではなく本当に裕福な人をちょっと笑わせるパロディとしての意味や価値を持つのではないかと。

 そう思うと元ネタは先にダライアスを上げたが、もっと掘ると当然のグラディウスツインビーがあって、まあゲームとしてはその辺と同じようなものだから、今日はゲームボーイツインビーだ!を遊んで極パロは日延べしようと。

 ホントにそういう知的財産権があるから出来る新作ではあったと思うのよね。ソフト資産と言っても良いけど。

 そうすると中学くらいで親に内緒で勉強机の引き出しにゲームボーイツインビーを入れていたのを思い出して、長期的にはゲームを仕事にするには良い大学を出て大企業で開発部や企画部に入れるごく少数のエリートになるしか道は無いようで、でもそれが誰に向けて作られるものなのかと言うと仕事のための道具ではなくお金のある家の子供の娯楽で、それをいい年した大人がまだ求めているという現実は労働者と資産家や経営者という意味で、ゲーマーの月のゲーム代はあるアンケートで月5千円までが2割くらいで、そこから1万円までと1万5千円まででほぼ大多数になる。

 んで節約していた頃の俺はというとスーファミストIIターボとソニックウイングスで何年も遊んだわけで月千円換算を割って、それが今の貯金の一部となっている。

 今月は浮いたお金をちょっとは経済の循環に回そうとワールドヒーローズ2とスターフォックスを買った。んでまあ来月まで回さなくてもお金はあるから極パロも買っちゃおうと思えば買っちゃえるが、余ったお金を投資商品に回すのと遊びに使うの今を買うか未来を買うか、そんな単純じゃなくて。1万円を貯金するとかも投資に近く未来を買っているようで、その未来は極パロを遊べなかった恨みのある未来かもしれないし、反対にゲームに騙されずおいしいご飯を食べられる未来かもしれない。

 それで遊んだツインビーは確かに面白く、開始1分くらいは「何をいまさら」と思って電源をプチりたくなていたが、5面を越した頃には夢中になれていた。

 そうして「これぞ面白いゲームで過ごした豊かな時間」ではないか、極パロはそれをもたらしてくれるだろうか、それはプライスレスかもしれんが、将棋の駒の得点まで数字で測るケチ野郎として、幾らが付くかというとプレステ版ならもうちょっと安い売価であるみたい。市場原理は売価が基準になるが、真価というのはソフトでコピーすればタダなのか開発工数が3カ月かかって何十人月で何百万円なのか、どこでどういう値段が付くんだと追いかけると自分で手に入れるならコピーして焼くか店で買うしかなく、作って売るになれたら仕事に出来てお金が儲かるって、その仕事をしんどくてお金にならないからと自宅での開発を放棄しているという現実も上に戻る。

 なんかお金は貯まったけど、心のどこかに貧しさが住み着いて、でもそいつのお陰でお金にそこまで困らず生きていけている気がするけど、ゲーム1本買うに買えないってやっぱ貧しいのだろうかって思ったりもするのよね。


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