ひとまず実験成功!

 SNSで先に触れたのですが。

 「多変量解析」というキーワードでSNSを検索すると、数日に一度程度の割合でつぶやかれており、本を買って勉強するとか東京大学の一年のカリキュラムで勉強しないといけないとか、そんな話が目に留まります。

 まあ東京大学というと高校の時に憧れたけど、東京商船大学に志望を変えることを教員からすすめられ、そして無念の結果に。それで紆余曲折を経て何とか会社員になって会社の仕事に慣れて飽きてきたころ、もういちど勉強し始めたんですよね。でもその頃には今の家を出てマンション住まいで、そこから10年ほどで姉の子供が幼稚園から小学校に上がるくらいで、姉が子供に「アイツは落ちたのよ」とさんざん教え込んで、その子は俺が何か言って気に食わないと「おちた!」としか言わなくなり、相当に精神ダメージを食らって、それでうつ病で周りが気遣ってくれるようになっても姉と子供は容赦なく、それで落ちたことを放って社会人として続きの勉強をしようとするのではなく、いちど落ちたことを謙虚に受け入れて高校の勉強が足りなかったのだと高校のカリキュラムを復習してみて、気付いたら46歳で子供部屋おじさんに。

 それでもういちど受験して東大に受かったらカッコいいのですが、そんな事もなく、ただサラリーマン時代に買った多変量解析の本をもういちど読むと仕事になんとか使えないかなぁ、程度の数学とエクセルの使い方が載っているわけです。

 それで順序が逆になったけど、冒頭のようにこれどこで誰が何に使っているのか手がかりが知りたいとSNSの検索にかけてみて、おお東大の1年か、と。俺46歳だが。

 ただ、俺が25歳くらいで初めて多変量解析の本を読んだ時には「こんな当たり前のことをなんでわざわざ数学とエクセルを使って求めるのか」と思って、まああの頃も今でも自分で言う事じゃないけど頭良いんですよ。ドラクエとかで数字を見比べるのに慣れてて、すばやさと防御力の相関とか被ダメ与ダメの差から戦闘に勝てるかとか、ゲーム世界で自然に身に付いた数字の読み取りが、表を見たときに直感になってて、数式を打ち込んで答えを見る前に「これやな」と思ったので大体合ってる。

 そんでも紙に計算と答えを書かないと試験には受からないように、東大に入った学生さんでも、エクセルの画面に数字で出して「こういう数字だから理屈はこうですよ」としないと人には認めてもらえないというか、それが普通のコンピュータの仕事。

 はい、やらない言い訳終わり。

 そうして数字とにらめっこする前に、評価値とは何であるかというと基本は駒得なわけで、歩が100点で金が500点で飛車が1200点って、簡単に移動先を数量化したものですよね。ひとマス進むだけの歩と6方向に移動する金が5倍くらいで、飛車はもっと高い。この合計が評価値で、最初はイーブンで金を取ると+500とー500で1000ポイント差。だからして難しいのは香車と桂馬と銀あたりがもつれたときの損得なんだけど、基本的にヘボ将棋は駒を取ったら勝ち。

 そうすると変量解析をかける以前に棋譜の中の将棋盤で駒を取った時に評価値が動くわけで、まずはその当たり前を評価値でもって確認して、評価値以外にどこか因子になる数字は無いかと探していくことになる。

 まあ、そのくらいが俺がもし東大に受かっていたとしたら1年生でする仕事ってことだ。SNSではブロックされているけどポナンザ山本でも東大の卒論がポナンザなわけで、その仕事に4年をかけてやるくらいの価値は何年も前にはあったのかもしれない。

 もちろん、それは評価関数が駒得だけの話で、名前がややこしいがボナンザは三駒関係で、そして最近の流行の先駆けにはストックフィッシュがある。これも仕組みが良く分からないから困っているのだけど、まあまずは俺は俺の仕事をすること。

 感想として東大にもし受かっても1年生で留年するんだろうなって感想を抱いた。

 多変量解析、なんもわからん!

 諦めないとしたら、ここから1年くらいかけて実験を繰り返さないといけない。

 コードを書くのがプログラマーフローチャートや論理学が今までの武器だったけど、コンピュータは中文では電脳だけど国語では計算機なので、AIというと胡散臭いところもあるけど数理のなかでも純粋に数だけ扱うなら、そりゃ計算機強いでしょ。

 ただ、行列算をする道具としてC言語で配列作ってコンソールでやるよりか一覧で見られるエクセルでするほうが扱いやすいのもそうで、学生時代はゲームプログラマーになりたい、そしてゲーム機のゲームプログラマーが組み込みCなのでC言語勉強する!って頑張って来丈けど、いざ身に付くと花形は画像か音楽。

 この間違いだらけのスキルセットから、素直に絵と音楽を学んで自作ゲーム作って勝負しろよと言う気持ちも無いわけではないが、目下将棋ゲームを作って積読だった本を消化して、ああ歳だけ取ってゆく。

 ただまあ、人生で何か躓いた時に「俺に東大の頭があったらその俺はどう行動するのだろう」みたいな悩みは既に無くなっている。カネの使い方や食べ物の選び方にスケジュール帳を使って週刊月刊の時間計画を立てることなどで、今コンピュータ将棋に没頭できる時間が出来ているんだと思っている。

 反対に気になりだしたのは東大生が高校の時受験勉強をしたとこまでは分かるんだが、どれくらい遊ぶのかとかサボるのかだ。合格した暁に何か褒美になることはあるのだろうか。ただ努力して結果を出した人が羨ましかったとして、しかしそれを後から羨んで周回遅れで何かの結果を出したとして、そのために失ったものもある気はする。

 タイトル先に書いておいて良かった。今日はひとまずの実験成功。将棋盤を数表データの画面として表示して、分からなかったことが当たり前であったかのように分かる変量解析まで来たわけだ。


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