高校の時に数学の行列が苦手だったが

 高校の時に数学の行列が苦手で補講を受けたくらいだったが、それでも代数幾何や確率統計に基礎解析などで数学自体の総合成績は良い方だった。いつ良くなったかと言うと模試を受けたときで、難関校向けの難しい授業には付いて行くのがやっとで卒業スレスレだったが、高三で全国模試を受けると「なんて簡単なんだ!」と思った記憶が。

 ただ、そのまま数学物理で突っ走った俺にヨシイ君は化学を勧めてくれてマユには日本史を勧められた。得意を伸ばすべきと言っても、苦手を補うことで解決するならそうしたほうが傍から良く見えているのに当人が気付いていないことだってある。

 そんな俺は結局化学と日本史をひとしきり学んだ後に数学の行列をおさらいした。これが何の役に立つかと言うと、何らかの事象をひとつの数として表現するのは無理があるからだ。特に近年それが顕在化しているのはソフトウェアの値段である。東京エレクトロンキーエンスに米国ではエヌビディアの株価が爆上がりしている。市場的に目いっぱいの価値が付いているにもかかわらず、サービスとして提供されるソフトは電話代だけで端末があれば扱える無償のものである。NTTと電機メーカーは持ち合い。つまり上昇低下横ばいで変化は乏しい。

 まあそれ以外に、警察の正義が矛盾するというような命題についても、善悪を天秤の傾きと言うスカラでもって良い奴か悪い奴かと判断するから分からないのであって、天秤の傾き以前に右と左の天板に乗ったそれぞれの重しがあるわけだ。良いと悪いは正反対でプラスかマイナスかみたいな考えも間違っている。行列でふたつの独立した事象コンピュータ数学の離散数学とか行列のように良いことと悪いことは法で定められる悪いことと人の助けになる良いこととして別個に存在して、そして正義の天秤は良いことの量と悪い事の量を秤にかけてそこでようやく傾きを判断して裁くのだ。

 だから、悪い奴だけど良いところがあるもある意味では正論で、何も悪いことはしていないと毅然としていても、何の役にも立っていないというやつだってそう考えれば分かるのである。

 このへん、線形代数とか幾何学とか論理学とかどんだけ考えても分からなかったけど、行列で別個の数をひとまとめにしてそれで何かを示している結びついたものと考えて分かるようになった。俺のおすすめは行列(誰に?)

 ただまあ、俺の最後のピースが行列であっただけで、それ以前の悩みも中途半端ではあったか各科目の広範なやり散らかしから発生していて、外国も行ったこと無いのに世界政治みたいなことを語りやがってとオッサンから非難されても、まあ韓国と北米は行ったことあるんですけど、行った経験以前に高校の地理でデータで見た世界地図みたいのがあって、その真偽を疑ってしまうともちろん瓦解するんだけど、高校の勉強は正しいってのが大学受験の段階ではそう思ってやるしかなく、その立場に立つと足場は地理の教科書と地図帳になる。ちょっと旅行したけど学のないオッサンとかより生意気だけど勉強している高校生が真っ当な世界観をしている、と判断するのは左びいきだろうか。まあそこらへんが教科書による座学中心の日本の教育の課題であって、じゃあ高校から留学とか経験出来たらって高校生全員留学したらそれもう日本って国自体が危ぶまれるから、結局は政府の手のひらの上で政権攻撃をしている左のカラクリの虚しさよ。

 いやそろそろ座学の勉強を続けていること自体に実体験の経験がテレビネット読書ノートとあとはゲームと楽器ということで生意気な高校生の延長で46歳にもなってしまった引き籠もりなんですけど、アメリカ旅行とか行った後はそんな奴いないので帰国した日本で仲間外れにして帰国子女の友達と仲良くなったけど貧富の差からくる付き合いの良し悪しで仲違いとなって、あとまあITてのも今より珍しく大人の付き合いとして仕事の話をして飲むみたいのでもノケモンで一歩間違うと趣味がポケモンの子供みたいなやつってレッテルを貼られたまま40歳から今の暮らしにどんどん馴染んでいって。

 まあ、精神病院の退院者という事で犯罪者のような目で近隣住民から監視され、何も悪いことはしないかみたいな弾圧を受けているのですが、先にも言ったようにずっと監視されて悪いことを何もしないようにするとなると部屋にいるしかなく(散歩の足音すら迷惑や不信と見做されたことがある)けど日本ってずっと家にいるのが普通って人も一定数いて。まあ金持ちだけだけど。まあ愚痴はその辺で、今日のおすすめは行列な。


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