オールオアナッシング

 NHKのスポーツ特番「勝利至上主義への反省」「怒らないコーチング」「ゆる部活」から「野球を嫌いになってしまった人たち」の話をテレビで見て。

 あー、これ格闘ゲームも賞金制とかスポンサー制になって、自分はコーチに怒られたわけではないかもだけど心の中に小学校からの先生とか親の叱咤のイメージがあって自分の心の中の先生に怒られて褒められたくて辛い練習を続けていつの間にかゲームを義務と思うようになって嫌いになってゆく寂しさはあったなぁと思うのよね。

 まあ、子供がゲームに没頭してやめられないのを心配した親に「勉強しろと怒ったり取り上げたりせず、ゲームをやりなさいと義務化すると自然に嫌がって辞める」みたいな教育論もあるけど、子供の心底好きなものをやめさせたところで自発性を奪って生きる楽しみのない子を作っちゃうんじゃないのかなって気はするよね。

 結局、振り返るとあんなに楽しく遊んだのってゲーセンで遊び仲間がいたからで、独りで遊べるテレビゲームなんだから100円使わないで家で練習してお金貯めなさいみたいな考えも、友達を遊ぶ楽しさを奪われているだけ。

 けどまあ、それは俺だけに降りかかったわけではなく、eスポーツが起こってからのゲーセンが楽しい遊び場ではなくプロ選抜を賭けた殺伐とした勝負の場になっていったって背景もある。

 そこでほぐしてくれる人とか居なくて、負けた奴は去っていって、強い奴だけ残ってそこで頂上になれた奴が良いのか悪いのかまでは知らないけど、そこを「良い」とすると自分はまあガチで負けが越していって辞めたわけで。もう、そこまで来ると面白くはなかったよね。

 その体験を一度すると、独りで遊んでいても「どうせ俺は」みたいな負癖思考がどこかに残って「それくらいでも勝たせてくれる相手」みたいのに想像が及ばなくなった。

 それから友達対戦の輪に戻っても勝っても嬉しく思わないこともあったし。

 結局、負けたほうが金入れるゲーセンで負け役はお客さんで、ギャラリーは負けている方を応援してお金を入れさせていて、それに対して勝つ方は敵役で憎まれ役として商売が成り立っているみたいな見え方に変わっちゃって、手放しで楽しいわけではなく勝ち負けの星数を100円玉の枚数と一緒に計算しながら遊んで、それでプロ化は勝った奴が応援を受ける世界で、負けて肩持たれても「やっぱ勝つ方がいい」って自分で辛いサイクルにハマりに行っちゃう。

 まあ「ゆる部活」で楽しみましょうってのは分かるけどね。それもどこか騙しのロジックが潜んでいないかなって懐疑の目を向けながら、自分はどうしてそれに戻れないか。考えちゃう。


🄫1999-2023 id:karmen