戦争とカラテ

 PS2の戦争ゲーム「フロントミッション5」に疲れを感じて思うのは「これは遊びなのか?」ということ。映像で展開される物語があって、キャラがいてゲームとしてはキャラとその操るところであるバンツァーの兵装を与えられたRPの範囲でカスタマイズしてSLGをして敵勢力と1面ずつ将棋のように競う。そのゲーム性ではなく映像的なところで捉えると、そこは火薬と銃弾で荒れ果てた戦争の世界である。

 実は俺は子供の頃からそういう戦争のアジテーションに囲まれて生きていた。物心つく前からガンダムのLSIゲームでシャアザクと鉄砲の打ち合いをしていたし、初期のファミコンでも戦闘機モノや兵隊モノは良く遊んだ。俺にとってマシンガン掃射での銃撃戦は日常的な遊びで、そこはリアリティではなくスーパーマリオがファイヤーボールを投げてクリボーをやっつける「ピコッ」てやつと境い目のない絵と音の面白さの世界だった。

 それがマシンがハイスペックになって、表現の幅が広がると、実は自分の求めていたものは子供っぽいおもちゃに囲まれた安心の暮らしで、戦争ゲームはしんどいものだ。リアリティレベルが上がって、戦争の辛みがよりリアルに感じられるようになった。

 いつしか俺はスーパーマリオのような遊びではなく競技性でもってゲームを見ていたが、戦争まで来るとカラテゲームの方がまだマリオに近い「遊び」の範疇に思える。

 そう思って、昨晩はまたカプエス2にゲームCDを差し替えて遊んでいた。フロントミッション5もそれはそれで強さを示すためにやらなきゃって思いはあるんだけど。

 それで、遊びとしてのカプエス2なので、覇王丸バルログ・イーグルではなくA豪鬼バルログ・ベガとした。覇王丸は日本刀、バルログは爪とマスク、イーグルは棒を持っていて、その分ステータスとしてはリーチが長く、とりわけ覇王丸は威力も強い。リーチ以外の判定面でも、ジャンプ大斬りが相手のアッパーなどの対空をつぶす納得の判定である。まあ、ゲーム性を担保するためダルシムの伸ばした手の先にやられる判定が伸びているように、絵的に刀や爪の部分にも攻撃を受ける判定が伸びているのだが。

 それを差し引いても、競技というか勝負として刀や爪で兵装しているほうが強そうである。その意味で俺の元々の趣味はガイル・ロレントという兵隊さんだったが、ガイルなど兵隊は兵隊でも丸腰のマーシャルアーツである。そりゃ刀を持った武士とか爪を持った闘牛士(なのか?)のほうが強いだろう。

 しかし求めているものは勝負の体を取ってはいるが、遊びなのだ。俺はリュウも楽しいと思う。ストIIの頃から競技性も体格も違う異種格闘技戦を小柄な日本人のカラテで勝てるのかというところは面白みのひとつだったところだ。

 それで豪鬼である。これはストリートファイターダッシュターボスーパーと回を重ねてラスボスだったのに普通に使えてゲームバランスのお題目の元で弱キャラになったベガの代わりにもっと強いラスボスをと画策して作られた「拳を極めし者」なのだ。

 知らない人のために注釈を添えると、白い道着の空手家リュウと赤い道着に金髪のライバル・ケンの師範の同門で黒い道着にちょんまげで大体リュウケンと技は一緒なんだけど、リュウケンの必殺技「波動拳」をジャンプ中に空から繰り出す「斬空波動拳」が付いているのが最大の特徴だ。

 そこまで踏まえてカプエス2で豪鬼は強キャラなのかというと、ストII系統では強キャラだったが、刀を持っているのとかもいる中で、拳を極めたと言っても丸腰のオッサンであることには変わりはないと思う。

 そこまで踏まえて、それでも豪鬼で勝ちを目指すのに面白みがあると思うんだ。

 斬空波動拳はそれはそれで、大ダメージのオリコンのAグルーブで、あと武器になるのがってか武器のない空手なので頼りになるのが空手技ということになる。柔道もある。

 ストIIXの頃から、リュウで勝ち抜けるくらいの達人が豪鬼を極めたらゲームはどうなってしまうのかと談義の対象になったのは皆が極まってないヘタレのボンちゃんだったからだが、リュウで勝ち抜いてるんだからそれより強い豪鬼になったらもっと勝ち抜くのが当たり前なんじゃないのという当然の推論はその当時に何故か出来ず、しかしそれが何故出来ないかというと豪鬼は裏技で使う反則キャラで、極まったリュウとの対戦は操作相手に敬意リスペクトがあって「御手合わせを」と乱入対戦する人が居たが、子供が裏技で豪鬼を使って大人を負かしたりするとお客さんは帰ってしまっていた。

 だからして、その頃から豪鬼を極めて、それでもフルコンタクトで戦って負けるくらい強い相手とやってみたいみたいな夢を俺たちは持っていた。

 まあ俺は最近では家ゲーマーだけど、プロゲーマ同士のEVOなどの催しはそのためにあるんじゃないかと。東大卒プロゲーマー「ときど」のメインキャラが豪鬼だったのもそういう意味があるんだと。

 そんな威しではなく、こじんまりと家でPS2で遊んでいても、どこか夢見るのはもっと上手く豪鬼を操ってカッコいい対戦がしたいということ。その本質はリスクを背負わない空中からの波動拳が強いキャラと、小さい体でリスクを背負って相手の懐に入り空手や柔道でやっつけるリュウの基本形でありストIIの極意であるところが、どこか相反しているのだろうというところが今日の論議の落としどころ。

 ゲームがゲームとして楽しいのもリスクとリターンが場面場面で変わる中でリスクテイクをして大きなリターンとなった時の博打でいう「射幸心」がくすぐられるからだというのがパチンコパチスロの法規制の論理で「面白過ぎるのは中毒出るからダメよ」という話なんだけど、俺はPS2でも面白がれるようになったかっら大丈夫だぜ!

 パチスロ北斗の拳をPS2で打つのと何がどんくらい違うのかというと以下割愛。


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