MTG藤田剛史語録「俺は稲妻がレアやったらこのゲームやらん!」

 「だけどアンタのデッキ、サバンナライオンも十字軍も4枚ちゃうの?」

 今更に、騙されたなぁと思うんです。確かにMTGには強いカードと弱いカードがあって、それで大体マナに比例して小さいものは弱く大きいものは効果が大きかったりクリーチャーならサイズがデカいわけで、マナカーブとまあ横文字を使うまでもなく、繰って出すので多いものは引きやすく、土地を一番多くて次に1マナ2マナを多くして、トドメというか仕上げの大型クリーチャーは少量で良く、その配分に比例して強いレアカードが1枚引ければ当たりで勝負になる。

 それでも、サバンナライオンとか1マナクリーチャーの最強格がレアにいて、それを4枚揃えるまでは参戦する気が無い、みたいな極端なお金持ちも幾らでもいる。まあそんなんベナリアの勇士で良いやんって人から優勝が出ることも8人戦くらいならある。

 それで今日は新セットの発売日だから久しぶりに出かけようか、でも無駄遣いかなぁ、と思って昼飯食ってからもっかいくらい悩むけど、その前にお金を使わず楽しむという事でマニアとして昔は買った事があるホビージャパン別冊の真木孝一郎の本で構築5点が付いているカードを持っている限り入れたデッキを組んでみた。

 そうすると、マナバランス的に滅茶苦茶重量級になって、これは流石にデッキとしては弱いんちゃうかなと思って、軽いマナ域の星5点4店ではなく星3点2点のカードまで入れて、マナバランスを重視した構成としたのが以下の写真。

 これでもチョット重い気はするが、速攻が通じるのは相手の方がふた回り大きい場合で、ちょうど一回りだけ大きい場合は速攻よりもサイズがまくるという理論がある。後手理論だ。つまりサイズ感が1,2,3とあれば1に2が勝ち2に3が勝ち3が出る前に1が1回殴るというような大枠の考え方になる。だからウィニーは勝ち目はあるが自分がウィニーであることがバレているケースを考えると心細い。

 まあでも俺これだけ買ったし。裏ネタとして、公式大会でジャッジが持っているレアカードの数を登録票から数えて買った人を勝たすという話があるが、それは多分誤解で、たくさん買う人はそれだけゲームの選択肢が多い中から強いデッキを採択しており、自然とそうなっているように思える。

 買ったのにコモンデッキを持ち歩いて「買わない人」と思われるのも損なので、このデッキにする。これだけ持っているわけで、このコレクションを買い足して強くするとなると、本当に300種類の新セットから数枚くらいしか当たりが見込めない計算になる。反対に俺がこのデッキを持って新しく始めた人と勝負しようとすると邪魔になるだろう。混ざって遊ぶために持っているものを捨てる(物理って気に捨てなくとも、置いておいて、また新しいものを買ってそれで作る)ということを既に一度やっている。それには後悔しか無かった。そして絶版に巻き戻るとマニアのコレクターに額面で負ける(勝ちたいところではあるが、欧米のコレクターも勝負の相手にいることもお忘れなく)

 稲妻も、いちど絶版になって代替のショックに入れ替えなくては参戦できなくなり、また封入されて再度使用可能となり、また絶版している。この揺さぶり具合がプレイヤー目線というよりも競技の公平性とか言うよりも、完全に売りてサイドで決まっている感じがするのも嫌。

 それ言うと、基本的にイーブンな囲碁将棋麻雀などのテーブルゲーム以外の新商品としてのテレビゲームやトレカゲームは割と何でもそういう部分があり、売り上げを出さないといけないところと、ゲームとして面白くしたいという思いが入り乱れて、どっちかに振り切った考え方はその業界を代表する意見としては偏っている。

 俺には楽しかった思い出と遊び仲間がいたが、狭い人間関係であとあと価値が出ると踏んでカードを買い、後悔とガラクタを抱えている人も何人も知っているので、遊ぼうよとすすめるのはともすると人を陥れる行為になりかねない。

 まあ、物価高の影響か、古物としての絶版カードの価値より新品未開封の新作の定価が上がったなーというのも地域のショップを電車移動になる隣町まで探して出向くのをためらわせる。行ったら行ったで面白いという感覚も、プロとして勝たなければという自負を持つと楽しめなくなる。そう、人間関係的に楽しませてもらえる側に回れない。

 それが勝負とか競技のレベルが上がったということで、そうでないと初心者狩りということになる。長く続ける同士というのがMTGで本当に成立するかというところ。復帰組も含めてだ。


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