幾つもの入れ子や循環をくぐり抜けて今がある

 マジックザギャザリングのカードを何故手放してしまったか、当時の事をよく思い出したんですよ。遊び友達で後に専門学校の同期となる大橋君と、ちょっと年上で年長者として話し相手役になってくれる藤田さん、彼らはゲーセンでバイトしていた頃にお客さんで遊びに来ていて東野君もそのうちのひとりでした。

 仲良く遊んでいたんですよね。ヤクザに足を引っ張られると言っても、19の頃は高卒でバイトをしていたわけで、進学校から高卒になるのは創立15年で2人目らしく、まあ中学から高校を出るまでに退学者とか留年者とかもいたわけだけど、高校出てバイトしていると学歴なんかは関係なく遊んでいたわけです。のほほんと。

 その中でトレカに誘われて、親がご飯の支度も洗濯もしてくれる家でゲーセンでのバイトなんてのは力仕事の苦労もさほどなく、中学高校とゲーセンでよく遊んでいたので店長よりもゲームに詳しくてすぐに台を入れ替えてバイトしていたゲーセンはかなり人の入りが多かったんです。それでヤクザ屋さんが様子を見に来てバイトの自給も上げてもらって、そのお小遣いでマジックザギャザリングのセットを所謂今でいう大人買い。19の頃なんてお金の大事さを分かってなくて、パーッと使ったんです。

 そこから、ブログで良く自慢にしているベスト8入りもあるんですが、雑誌に取り上げられる大会で同じデッキで他の人の顔写真で掲載されたもので、俺は大阪で遊んでいて、地元の奈良の旧知の仲とか駄菓子屋のおばちゃんとか雑誌を見た近所の子供にその同じデッキを持っているのを「雑誌を見て買ったんだ」と言われてしまったんです。

 それが嫌で、絶対に雑誌に出たい、それも自分だけのデッキで!となって、地元の人と遊ぶのではなく大会に勝って見返してやろうと思ってしまったんですよね。それでどんどん勝ちパターンを崩してトレードを繰り返す中で、色々なものを見失ったんです。

 そして、その大前提は高卒でゲームして親が元気で遊んでいたんです。そりゃ、良い学校生かしたのにちゃらんぽらんに遊んでって風評ですよ。ゲーム頑張ってるなんて今でこそプロゲーマーとかの世界があるけど、分かってもらえなかった。

 それでもういちど受験して、志望を落としたわけではなくゲーセンのバイトも流行らしたのは俺だと思っていても、店長は儲かると新しいバイトを増やして、シフトの取り合いでハメられて締め出されるように仕事が無くなって、仕事ないから専門学校行ったんです。

 それらは手放した直接の理由では無いけど、せっかく持っていたものに恨みや辛みがたまっていて手放すときにはためらいは無かったんです。後からもう一度やって、懐かしいカードがめちゃくちゃ高い値段でネットで売られていて後悔したんです。

 だけど、そんな後悔はファミコンを「わんぱくこぞう」や「ブックオフ」に売った後もあったし、それでも働いてお金をもらって新しいものに買い替えていくのが20代の俺のエンジンだったわけです。遊び人をやめて専門学校に行ったのだから、しっかり働いて遊んでばかりのアイツらとは違うものをと思わないとやってられなかったのです。

 しかし、その仕事も病気で退職してしまうんです。それで通院しながら銀行の残高が無くなってきたらまた病気を隠して働くという生活で30代を超え、40になった時に病気で保険が貰える制度があって、20代の時に保険に入っていたのが書類を揃えたら今でも間に合うと沖縄出身の社労士さん屋良先生に教えてもらったんです。

 それから病気になった時に友達がタクシーで連れて行ってくれた心療内科で初診を取って、40代で年金暮らしで親父の店を手伝うでなく店の二階で子供部屋おじさん暮らしが始まったんです。それから暇が出来てまたトレカでもしてみようかと思ったんです。30代でも後半は浪費をやめて株を買ったりして、貯金もちょっとはありました。

 だけど、それからトレカには新セットが出たときのパック代は6パックで1980円ほどなんですが、それ以外は全く使わなくなりました。基本それで集めたのが今のもの。

 トーナメントではメタゲームと言って、流行の変遷に合わせた多数派層マスに対するアンチが論じられたとこがありますが、今はまずMTGで勝つとはどういうことか、そのためには何をすべきか、その上で勝ちを目指して論理的に組み立てたデッキ同士で対戦して測って勝率を出すとか、もう大会を目指した取り組みには遊びを超えたものがあります。

 それでも、最初の方に書いたことに戻るけど、プロとして稼がない以上はというか、店舗大会優勝くらいのちょっとした稼ぎでは世の中の認知は「遊んでる」だし、仕事が無いから家にいると「引きこもっている」なんです。

 そうして考えると、ゲームに強い考え方が本当に欲しいと思ったのが10代20代だけど、お金が欲しいに30代で変わって、40代は他人に見せる証拠が欲しいに変わってしまったんです。絶版カードの高騰はその心理を逆手に取った悪徳商法だと思います。ただまあ、ゲーム大会で賞金を目指すということもそれ自体を良徳と言えるかという問題はあります。

 その中で今考えていることというと、40枚中「黄金のたてがみのアジャニ」と「内面からの光」でほぼ同等2枚と見做して40分の2を約分したら20分の1で初手7枚から4ターン目の10枚でおよそ引く確率が2分の1。そこに「活力回復」「予言」"Whisper of the Muse"で4枚引けるわけで、40分の2が36分の2になれば18分の1で7枚から4ターン目ではなく5ターン目くらいまで引き増しで持ち越して、18分の12(1ターンと引き増し)で3分の2くらいで引いて来る。それが3枚目の十字軍相当を入れるのとどれくらい確率が違うかというと3枚入れる方が少し高いけど近く、そして引き増しでデッキの密度が上がりクリーチャーの中でも大型を中終盤に引く確率が上がるので、それからコントロールに寄ろうと「忘却の輪」を増やすなど。

 まあマナカーブというと赤単で出来た撃って終わりのスペルのマナバランスのグラフの曲線であって、緑のマナブーストならもうちょっと曲線が変わると言われているけど、それは相手が何もしなかったらの事で、エルフでのマナ加速を計算に入れて重くすると特に赤相手にエルフを「稲妻」とか「ショック」で仕留められた時に土地破壊デッキを相手にしたように想定の高マナ域に届かなくなるって現象があるんだけど、その点引き増しはカウンター以外で止められないけどエルフのように1/1でも戦ってくれるわけではなく、無防備に1ターンというか3マナを消費するわけで、ウィニーとの相性を考えるとトドメの火力とか黒に手を伸ばしたくなるけど、それはまだ自分の持ち札というか小箱5つ分ほどのカードをこねくり回すだけでは成立しづらく、青白まで。

 まあ言っちゃうと「予言」は"Ancestral Recall"にした方が良く"Time Walk"も持ってたことあるけどあれば入れた方が強いかもだけど、普通にリミテッドからカードを集めていくデッキメイクの終着点が絶版カードというのは順序が逆で、新版だけで遊ぶスタンダードのゲームメイクを面白くするために新版があるわけで。

 取り組みとしてカードを持ち歩いて遊びに行くということを繰り返した結果が地域の人との断絶であったことは先に書いたけど、奈良のベンテンドウで遊ぶようになってから景品をもらった後に店は閉まったし、駄菓子屋のおばあちゃんの息子がミラージュあたりのカードをまだ後生大事に持っているらしいけど、ゲームはSwitchだと思われるもので遊んで人が来たら電プチして隠して話はせずにお店番のフリするから、付き合いは無い。

 まあ、俺がゲーセン店員になった時というか高校生でストIIターボ国技館93に行ったあたりから全ての歯車はちょっとずつおかしかったけど、地域でと言っても歳の近いのは結婚して子供がいて、ゲームは子供のするものということでありながら子供は外で遊んだり勉強するものというブッキングがあって、そのへんの人の都合によるねじれや矛盾を全部解き明かしちゃうと、今の俺の生活は若い頃への悔いで出来ていて、ベンテンドウで遊んでいた時に森博嗣の小説「すべてがFになる」作中人物「真賀田四季」の描写で「天才には後悔が無い、すべてその時に合理的だと思った理由で行動しているので全く同じ局面にもういちど出会ってもきっと同じ行動を取る」を端折って「俺には後悔なんてない!」と豪語したら店の主人が「後悔なんて誰にでもある!絶対悔いさせたるわ!」と睨んでいたので、それを思い返すと店をたたんでネットショップで俺が手放したものだけ意図的に高価に値段を付けて嫌がらせをしているだけの偏屈な暇人をネットを通して相手しているだけかも知れんなぁとも思ったりもするのです。

 大会に関しても主催者サイドがあきらめるよう促すのと何度もケンカして仲悪いし。

 賞金も出ないしカードも本当は売れないとしてもそれがあるように見せてセコイ商売ををするのが悪徳なのかというと、そもそもこんな悪魔的なゲームを考えて作って売るのが良徳なのかという話もあり、まあ楽しませてはもらってます。肩身は狭いけど。

 まあ、その点スーファミ版のキャプテンコマンドーを箱説付き3万円でスイッチ新品18900円と天秤にかけて「絶対貧乏になりますよ?」と脅されてもキャプコマ取って、それでスイッチでキャプコマが200円で出されても家にスーファミのキャプコマがある絶対的な安心感があって、それに対してMTGはデッキを作るたび「それで全勝できるか」と考えて対策カードを出されて不安になりまたデッキを組みなおすループに入ってなかなか安心できないのは、先に書いた色々の事情があるから。

 強いデッキを作って全勝優勝すると不安は治るかというと、ギターを覚えて弾き語りを動画にしても仏壇やの婆さんが「弟さんが弾いて貼んのとちゃうの?」と言いふらしたり料理屋の奥さんが「お父さんが弾いてはんのとちゃうの?」と言ったりで「あんたすごいねぇ」とか「上手いねぇ」はどこからも来ないというのがあって、雑誌に写真が出ても「顔が似てるだけの人ちゃうの」みたいに不安を煽って来る犯罪者はたとえそれが住民カードでも顔のそっくりなやつに盗まれて預金全部降ろされたらみたいな脅しはヤクザの常套手段で、ヤクザに脅されるということは負け過ぎではなくひょっとして勝ち過ぎかなと思うけど、俺はベスト8とかではなく優勝を求めていた。

 そもそもの相手が虚構のインチキ屋さんであってスポーツとかとはちょっと違うってことを分かってなかったのかもしれないよね。スポーツならどうだって言っても活躍してタレント業に転身する人がいる裏側にも俺の知らない事情はたくさんありそうで。

 日の目を見ない人間なんです。それか、周りの町の住人が暗すぎるか。俺でなく。


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