自分の人生についての肯定感は高まった

 ここ数年、毎朝NHKの朝ドラを見ているが、ふと自分の人生ではない誰かの人生を色々の人の視点で見ることに対して、しかしその間に自分は年を取ってしまうという感覚を欠如したまま一生で色々の人生を味わおうとするあまり自分の人生を歩めていないという感覚もまた湧き上がってくるようになった。

 朝食は5枚切りの食パンにバターとコーヒー。子供の頃からほとんど変わらない子の朝食をいったい何度食べただろう。もちろん食パンも進化していておいしくなっているだろうし、バターもマーガリンだったり時にピーナツクリームやブルーベリージャムを添えて特にブルーベリーは目に良いとされ「効かない」と思っていたが、やめてみて何年も経つと徐々に視力が落ちて来て、毎日続けていれば目が良くなるわけではなく悪くなるのを遅らせるくらいの効果はあったのかもしれないなと今更に思うのだ。

 話が逸れたが、変わらないトーストとコーヒー。英国式への両親の憧れだったろう。

 昨日は薬局で塗り薬を買い、会員カードが変わったというのでQRで読んで正直に住所氏名などを入れたが、これどれくらい個人情報が守られるだろう。もちろん見られてもやましいところは無いのだが、こちらが知らないところで相手方が顧客情報を大量に集めているという状態は不利なので、ポイント数十円とどちらが得か悩んだ。

 そう言って実名を出してブログを書いているのは何なんだというのは少し矛盾に感じるかもだが、住所と名前と買ったものとか、断片的な顧客情報をかき集めてポイント還元して、企業の狙いが何なのかというところが正々堂々としておらず気味が悪いって話。

 とはいえ、俺自身も情報戦や心理戦については趣味の格闘ゲームにどうしても勝ちたくて手を出した事のある分野ではある。情報は少ないと役に立ちづらく、多すぎると処理に手間がかかりすぎる。対面販売でお客様の事を売り場の人間が知っているという事がパートやバイトの関係で無くなってしまい、店を経営する企業が会員カードでお客様の事を知らないといけなくなっているといった案配か。

 これも現代社会の構造欠陥だと思っている。俺がメシを食う店もほとんど店員は無言で、お年寄りの客は店員と話をしたがるのだが、無言で無視されたり、冷たくあしらわれるケースも良く見る。かといって接客が出来る店員さんのいる店となると、調理と配膳以外に仕事がひとつ増えて単価は高いし、トラブルもあるようだ。

 そういう融通の利かないコンピュータの隙間で生まれ育った俺の仕事もまたコンピュータ技師であったことと、こうしてコンピュータを通して文壇で人に語り掛けていることが何とも皮肉に感じるのであるが、じゃあコンピュータを介してのこのブログをやめて街に人がいるかというと調理場でガラス越しに無言で働いているか、レジをピッピと打って「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」以外の言葉が必要になると「申し訳ありません」の平謝りしかないマニュアル対応のお店番ばかりなのである。

 そういう環境だからこういう風に育ったことで、色々の事に合点が行き、自分のことをそんなに否定することも無くなった。高校は男子校で、ひとりの同級生に「彼女ってどこで出来るんだろう?」とこぼしてしまうと「俺は大学だったな」と「してやったり」とニヤリとされた事が、大学に行けなかった事への後悔の念を強めていたが、まあ専門学校にも女性はいたし職場にも女性がいるところもあったし、大体近所の街中にも性別女性でカウントすると本当にメチャクチャたくさん女性はいるのだが、仲良くなるキッカケというのが本当に皆無であるように思えていた。

 そしてまあ、7割の男性は結婚出来ているので響かないと思うが、結婚できていない男性も世の中にはいて、少数派で「そうですよねー」という同調の輪を作ることにどれほど意味があるかというと、そう言う事をするから同性愛者と間違えられるだけであって、もうちょっと前向きに考えると例えば今の社会構造を破壊したいなんてのはテロリズムであって、この社会に順応して生きて行く事を考えると、7割の男性は色々の折り合いがついて他人から見て仕事と分かる仕事をしているから機能的に社会に順応しているのであって、俺の悩みは多くの女性のニーズに合わせるとこちらがロボットのようにされてしまう事への恐怖だったのではないかと、そういうところもあるんだよな。

 まあ過去に結婚していたらギターが弾けるようになっただろうかと考えると、そうではなく嫁さんと子供が出来ていたらもう会社にしがみついて働くしか無くなっていたのではと思うと、これはこれで良いとも思っている。過去が変われば現在も違うだろう。

 だんだんと独りに慣れ、結婚相手がいない独居に順応して、親父を家族として肯定するようになったし、だから余計に結婚して今の生活が変化することが煩わしいとすら思ってしまう。そして朝ドラが終わってあさイチの鈴木アナが出てくるのが楽しみだ。

 自分の人生を考えずに、テレビに映る人物像に自分を寄せて何になるか、というところが深く考えずに歌手の歌う歌を歌い俳優の着る服を着て、時に若いころなどお笑い芸人の話すことを真似て話すこともあったわけだから、俺の存在意義を考えると、本人を見るより「俺の見ているテレビを一緒に見たい」という応対も全く不思議でない。

 そうすると、テレビを見るより楽しませてくれる旦那さんに俺が成れるかというとハードル高いだろうなとは思ってしまうよな。俺は俺だと思っているが、実はお笑い芸人や歌手や俳優のペルソナを内包しているかもしれず、マンガのセリフを語るオタクについていけないのはキモイとバリアを張ることで実はそのマンガ知らないという事を隠しているだけであって、反対にマンガを読む子がドラマもバンドも知らないとカラオケに行ってもつまらないという事は無く、ある人はアニソンを歌いある人は流行歌を歌いある人は懐メロを歌い一緒にカラオケに行くことがコミュニケーションであった時代は確かにあるのだが、最近そういう風に一緒にカラオケボックスに行く仲間も出来ないよねって、近所の商店街でカラオケというと爺さんがひとりで行って隣に女の人が付いてお酒飲みながら歌うような店のことだったりするんだよな。

 やっぱりこの町は大阪とも京都とも何かが違う。もちろん東京とも全然違う。この町なりの生き方を自分で見つけて行かないと、遠方と通信して攻略法が授かれるかというと、俺が自分で攻略するしかないひとつの独特の地図なのであろうと思うのであった。


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