15年という節目でモノを考え直している

 ストIIターボ93国技館というと俺は1978年生まれなので15歳。

 龍虎の拳2が94年で16歳。ドラクエIIIの勇者が王様に謁見する年だ。

 なんとなく10年区切りで10代、20代、30代、40代と区切ると30代が終わって40代はどうしようというスタートの気持ちになったけど、15年で区切っても何の問題もなくゲームに明け暮れてなったしまった15歳、ゲームクリエイターを諦めきれなかった30歳、そして入院から実家暮らしとなって15年で45歳。

 いやこの区切り方もどうかとは思うけど、姪が15~16歳くらいになるのかな。

 15歳というとゲーム以外にロックバンドも好きでギター歴が13年ほぼ15年。人生二毛作とか人生五十年とかそういう言葉があるけど、10年区切りで4つ半15年区切りで3つ目の終わりという所まで来ているのよね。

 特に30歳から45歳の15年は自宅のゲーム機がPS2になって、そこで持っていたカプエス2が2D格闘の最後の公式大会ということで23歳か。既にユニオンシステムに勤めていたのに仕事そっちのけでゲームに没頭しようとした。早朝にゲームをしてから出社して、部長のいない時間は寝て、定時前に仕事を片付けて残業の人が多いのにゲーセン行って閉店まで対戦。就いた仕事が本意ではなく、ゲームに夢をみることでそれに充実を感じてメリハリというか「ゲーマーと違って俺には職があるんだ」という仕事の張り合いと、しかしゲーム大会に出るなら仕事しないでゲームに専念する方が強く、だからといってそのオールオアナッシングに賭けて負けたらどうするという内心で就職という後ろ盾を持ってゲームに臨んでいた。

 それは実は15の時のストIIターボでも高校進学と大学受験は控えていたし、大学というか厳密には専門学校だけど進学してみて、ゲーム学科もある専門学校だけどそのくらいの学歴になると周りがゲームという娯楽色のある産業と呼んで良いのかどうかってところよりメーカー、建設、金融とか社会的に強い業種に興味が移るわけで、そういうとこ目指してダメな人もいる中でゲームばかりしていたのにそれがプログラムで開花してポッと会社に入っちゃった。あの就職のありがたみを全然分からないままゲームを追って仕事してたよね。

 んで45歳にもなると後ろ盾も前矛もなくゲームでどうやってメシ食うの?てのは切実な問題で、30代で得た職能で自作ゲーム作って売ってみてダウンロードが2万本越で業界人からは一発当てたと噂され、しかし親父がカネモなのを銀行業や不動産屋に知っている人がいて、それは爺さんからの相続もあるから、若い時の働いている親父を知っている人からは親父に苦労かけて息子さんはひきこもり。だが引きこもっていてのは俺が30歳までは弟の方で弟が上京して学費食費が浮いた分で俺がスコッと跡継ぎにハマって入れ替わるような格好なのよね。

 老齢年金が60歳からではなく65歳になるなら15年と言わず20年か。そこまでどうしよう、天才は子を持たないという俗説はあれ子を持たなかったら天才という事もなく、天才と凡人の差は先天性か後天性かで先天を遺伝とすると胎教は後天になるのかというような問題も併せて考えると、天才というのは実際問題では先天性を指すのではなく生まれたときから業界にいる世襲の人間以外から才人が出たときに使われる言葉であって先天か後天かより界隈の批評家が前もって知っていたか意表を突かれたかで決まるものであって、その切り分けに於いて天才と秀才の別はなく、自身を天才だと思いたくなる気持ちは秀才のかける勉強時間や練習時間と比較すると明らかにサボり症なので自分は短い時間でも成長曲線の良いウサギ型であるとでも思わないと到底色々な事に向き合っていられないからであり、蓋を開けると凡人の凡人並みの努力であって、それでいて仕事や趣味で世界があるのは家のお金や運があるからではなく凡人の生まれの凡人の努力でもそれより弱い消費者や弱者も世の中にはいるからである。奈良の土地柄。

 まあ天才でないなら子供が出来るのかというと、現代はそういうわけでもなく。子供のいる家庭に夢を見ることはあれ、現実が近づくと子守の苦労や経済的な自由や趣味の時間を割かれることを先から憂いてしまって面倒とか厄介だと想像してしまう自分がいるんだけど、年金等の社会保障の充実した社会ではそういう風に自分が老いた時に面倒を見てくれる子や孫としてではなく人の営みとして家族を増やす意味での子作りに同意して、そして運よく授かれた人でないと子作りに必然的な社会圧があるわけでもない。

 そして遺伝子を残すと言ってもよほど特殊な変異をしない限り、女性が卵子を男性が精子を作る時に生後獲得する塩基配列の変異というのは世界にいる人間の数よりも組み合わせ的に少なく、世界には自分と同じ顔の人間が3人いるとか、近年では7人いるとか、もしかするともっと、どこかで誰かが出来たときに偶然的に自分と遺伝配列が同じになることというのは奇跡的ではなく確率的に必然的に起こるという見方がある。

 そうすると遺伝子を残すために子を作るという生物的なアプローチの意味は少なく、旧家というか武家もそうだけど遺伝子の意味ではなく仕事の後継ぎという意味で子供が欲しい人が自分のあとを子に託すという話であって、継ぐ仕事もない者がたくさんいる世の中で飼われるように生きたものが子を持たずその命の最後を迎えることもおかしくはない。

 仮に俺が天才だとしても、その人生の多くを93年に出た格闘ゲームに捧げ、その意味はというと解いたとか勝ったとか負けたまで入れても自然科学的には無意義な情報というか快感を得る回路のボタンを押して迷路を解いたくらいの話であって、月並みに言えば将棋が強くてもコンピュータがもっと強くなったけど倫理的配慮で名人とコンピュータの対局は敬遠されるという風に、そしてその問題の渦中であるAI界隈で言うと一介の技師ではあり、大成したとは言えないかもだが人生の意味としてはその意を得たとは既に思っている。

 あとはまあ、他者から見ての俺が結婚して子を授かって奥さんと子供が大丈夫そうかとか、そのへんの自分だけではどうにもならない事情を含めて自分でどうにかしようとするかとの鬩ぎ合いに勝って凡人として子を残す道を選びたい。

 ストIIというのは俺の人生のひとつのテーマだった気もするし趣味としては今後もまた遊ぶかもしれないけど、全てを捧げるには器として小さすぎた感があるし、注いだ俺の情熱も社会で大事を成す多くの人の情熱と比べて注ぎ具合が足りなかったとも思う。


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