
スケジュール帳と三行日記を兼ねた手帳をつけているが、食ったものと遊んだゲームは必ず記帳していて、事の起こりとしては「ゲームしている時間を少しでも役に立つことに当てたら」という常識的な周囲からの批判を受けて「俺どれくらいゲームしているのか」をスケジュール管理して数えてみようというところから手帳が4年目である。
そして数えてみると、1日のゲーム時間は大抵1時間未満であるが、継続的にやっていることが分かる。さらに勉強時間や読書時間を測ってみると、もっと短いのだ。
今朝も京極夏彦の魍魎の匣をしおりのページから3ページほど読んだが、5分程度か。ゲームなら毎日1時間でも継続的に出来るのに、勉強を毎日1時間継続的にやるのがどうも続かない事が分かって来た。
ギターの稽古は1日5分程度ではあるが、15年継続して、最近は休んでいる。ゲームもカプエス2を10年続けたが、最近はバーチャロンとトルネコ3になっている。
それでもトルネコ3をどれくらいやったかというと17日に140回目で、昨日の時点で152回目程度なので、やらない日と何回かする日を押し並べて1日1回平均、45分程度というところだろう。
遊んでいるペースを測って、逆算的に費やした時間として、今後それを勉強に当てても、せいぜい1日1時間程度で、格闘ゲームの大会は昔はそれくらいで取れた。今はプロ制度もあって、もっと厳しくて練習時間もいるのかもだし、俺自身が過去にはもっと時間を割いていたこともあるが、1日1時間の継続というのは案外バカに出来ない。
だがそれが1日5分ならどうだ?となると、最近ギターの腕前も披露もしないしバカにもされないが、毎日1時間くらいやってニコ動にアップしていた時はバカにするコメントをつけられたが、最近もう誰にも相手にされていないのだと思う。「またアイツか」とスルーされるのだろう。
このブログ、これも毎日1時間程度を割いていると思う。勉強とはチョット違うかもだが、執筆である。ゲームしている時間は1時間でも、動画で観戦もするし、ゲームについて考えるし、ブログでゲームの事を語る。それをやめてしまうと、1日2~30分のゲーム体験も目標や進歩を失ってしまうのではないかと思う。ライフワークなのだ。
スケージュール帳に1週間のうち数回、ゲーム以外の事を勉強してメモを取っている。毎日見ているニュースから時事とその背景足る歴史や地理の勉強が多いが、職業プログラマの時は毎日プログラムの組み方について何時間も勉強できたのに、ふと、いつからかまるっきり勉強しなくなったんだよな。その頃には勉強しなくても自分で考えて組めるようになって来て、そしてやりたいことをやっている間に年を取り、自分の技術がトレンドと比較して古くなった。だがトレンドをずっと追っていたら、新しい技術のさわりは出来ても、深く潜って自分のしたい事をする時間は無かったかもだ。
ゲームのためにゲーム理論や数学を勉強している時もあって、これもパッタリやめて、いつからか既存のタイトルを自分なりに消化したゲーム理論で持ってあらためて攻略してみようというのがゲームしている俺のテーマなのだ。
これをゲームばっかりしていないでチョットは役に立つことをと批判されると、腹が立つというよりも落胆ではある。ゲームから出てきたゲーム理論という研究がやっぱり傍目に見て何かの役にはまだ立っていないという風に見て取られているなと。
それでも、俺が一体どういう風に時間を使ってきたのかその時間の正体みたいなものについて今は考えている。当たり前にある時計、今も進み続ける秒針、流れているテレビ、外を走るクルマの騒音。時間は何もしなくても過ぎて行き「使う」なんてことは出来ず、事に当たっている間を指して「割く」というのはまさに小学校の時間割の考え方で、まず物事が幼稚園のお遊戯から国語算数理科社会体育に大別されている。
そう、その意味でゲームにひとコマ割いていて、他の時間も上の空でゲームについて考えている。
だが、例えば絵を見たり音楽を聴いたりすればそれで良い時間をわざわざゲーム機とソフトにして販売されているのは何なのかというと、よりインタラクティブな新しい体験の形としてぼーっとしているより楽しい事が間違いのない人生選択だったのだ。
そして、心の疲れを取るために最近はよく「ぼーっと」もしている。人生この先どうなりたいかというのがあれば、目標をそちらに設定して軌道修正も出来るかもだが、過去に投げたゲームを今一度攻略したいというのが今のテーマになってしまっている。
それが勉強以上に頭の刺激にあっていると感じることもあるのだ。
勉強は勉強でいい刺激になる事もあるが、やれやれだと思いながら本を開いて読むその習慣が、パソコン机と勉強机が同じであるために何となくググる、SNS見るってのとの境い目を設定するのも難しい。
まあ、乱読で遅筆ではあるかもだが、ゲーム以外の役に立つこともチョットはやろうと心がけて日々は過ごしているつもりだ。すぐには結果は出ないかもだが、取り組んではいるんだよな。