先日ぽちくりしたメタルギアソリッド2が届きました!

まあ、まだゲームしていないのでゲームの話ではないですが。
ゲーム雑誌を買って、いちばん大事なのってその雑誌を信ずるなら巻頭に宣伝されているメジャータイトルなんですよね。自分が子供の頃を思い出すとジャンプの巻頭にドラクエが載っていて、あそんでそれが好きになったわけです。
けどまあ、子供なりに好きなゲームが増えてくると情報誌を見ても新しいものが入ってこないで知っているキーワードから読みたいところだけ読んでしまう。俺だけ?
加えて、ドラクエも最初はドラキーくらいでピンチになったように、ゲームが馴染んで面白くなって来るにはそれなりの修練とか期間とか回数とか、なんらかいるわけで、それが無くスッと入って来るものというと、絵柄が変わっただけのプログラムの焼き直しなんですよね。それを自分の好きなジャンルとして殻に籠って同種のものを集める。
このへん、音楽でも俺はGLAY、LUNASEA、ラルク(正しく書けない)あたりに傾倒して、シャ乱Qとシャズナは拒絶するみたいなとこあったんですが、20代くらいに読んだ本で「そうじゃなく音楽語るならまずモーツァルト聴けよ」とまあ、そんなザックリではなくもうちょっと小難しく高尚に書かれていた気もしますが、世で良いとされるとか歴史があるものを軸に自分なりの尺度を持てばよいのであって、拒絶して自分の好きなものに埋もれたらそれは独善だろうと。
その後の俺は多分友達から見たら「昔のミヤザワじゃない」というか、変わらない人ではなくなって寂しい思いをさせた部分もあろうかとは思いますが、それは今でもチョット背伸びして無理しているかなって自分でも思う。その丈にしっくりくるかというところ。反対に「世の中にはこんなスゲーものがあるのに俺なんて」という弱い所というか「これが好きなんだ!」みたく強弁できない自信の喪失経験でもあるんですよね。
てか、本当言うと自分の好きなものが尺度を大きく取って見比べてもやっぱりすごいってことは認めてもらえるところまで観察眼は鋭くなったけど、じゃあ自分は何?というところでとても弱くなった。そうすると、実は先に読んだ本の「モーツァルト聴け!」みたいなのも、実は門外漢だからそれでも知っているメジャーなところに触れただけで、俺個人の人生の指針たる言葉には成り得ていないのかもだよな。
そういう風に自分が分かると体の芯からまたあったまるような生気が戻って来た。
メジャーなもの、皆が認めているものという中で、歴史的作品とか時代の流行とかそればっか追いかけてもそれだけでも時間ってどんどん過ぎて行って、ある意味で俺の若い頃って社会を拒絶して出来た繭とかサナギの時期かもしれず、それから世に出てスコボコにされてしまったんですよね。スコボコにされても帰れる自分の世界ってのは独善でもそれは家の中で電気消して暗がりでも安心して寝られるみたいに、モーツァルトを知ることも大事だけど反対に必要な自分の好きを探す手がかりとかほの明かりのようなものかも知れない。
正直な気持ちを言うと「んー、今度はコナミのメタルギアソリッドかぁ、勉強のためにこれもやらなきゃならんのか」という気負いのようなものに負けそうな自分です。