祝いと呪いについて

 こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!誕生日は何事もなく過ぎました。

 まあ、近所のレストランで親父とふたりで生姜焼きを食って、立憲と公明が集結する中道新党のニュースがありました。民主主義とは選挙で政治家を選ぶということですが、政治家は法案に対して賛成か反対かを投じるのが主な役目で国民が法案作成まで踏み込むことは出来ず、半分ブラックボックスの政界に入る代表者を選ぶくらい。投票権というのはどのくらいの力なのかというと、他人にもその力はあるので1億分の1くらいの決定力かも知れませんが、けど政治を進めるにはそれをより集めるしかない。

 俺は若い頃は投票にも行かない政治無関心人間でした。思い返すのは成人式で当時は金髪でした。だけど二浪と言うか、二年フリーターをしてから東大阪のサンタックコンピュータ専門学校に通っており、成人式に行くと「あの人18じゃないの?」と噂が立ち始めました。スーツも持っておらず、コートを羽織って行ったその成人式は晴れ姿の人も多く、俺は帰りました。高校が進学校なのを鼻にかけていて、小さい専門学校で二浪というのが目立たないように両親はガクガクブルブル震えていました。

 しかし長い目で見ると、それでも皆で写真を撮ったりの成人式の思い出が俺に無い事を母親は悔いるようになりました。俺は旧成人の日1月15日生まれなので誕生日の旅にこのことを思い返すのです。祝いの日に呪われた記憶があるとでもいうか。

 まあ、公明党が中道新党になるにあたり後援団体の創価学会についても述べておきます。簡単に行ってカルトですが、昔は殺人などもあった危ない宗教だったのかも知れません。しかし俺が22歳で仕事が無い時に勤めた会社の社長が創価学会の会員で、大阪にマンションを借りた時を機に家族から離れて独居の時に寂しさから勧誘されました。

 起こりとしては貧乏で寺に墓石を買えない衆生のための大乗仏教の派生で、どうにか日蓮曼荼羅を家に簡素に置いて「南妙法蓮華経を唱えれば願いが何でも叶う」が謳い文句です。お経の漢字が読めない識字率の低い時代に唱えるお経をそれだけに簡素化したんですよね。

 しかしまあ、その教義は「泥沼のような池にも綺麗な蓮の花が咲く」ということで、見事に貧乏から這い上がり大願成就した人がカリスマとなって新しい信徒を集めた時代があったんです。けどまあ、俺が入った頃には行事ごとも形骸化して、親が創価の宗教二世の若い衆が会館の警備とか催しごとを嫌々やっている、そんな感じでした。

 その輪の中でお仏壇のある家々を回って、古い本を借りて読みました。古くは檀家に入れない貧乏な家の大乗仏教でしたが、それはやがて大学に入れなかった人の科学勉強会となっていた時代もあり、思想としてはお金持ちを恨んでいるところがありました。

 公明党の結党も金満政治に対する投票による民主主義革命であったわけで、非常に合理的で合法的な建前を持っている向きもあるのです。

 けどまあ、偉い政治家の家の息子がヤンチャということがあるように、創価学会の二世でも不信心で「親が宗教でさぁ」とこぼすとか、または隠して恐々と生きている、いろい色な人がいました。

 まあ、色々な人がいると言ってしまうと、総体として何であるという思想は雲散霧消してしまうわけですが、嫌々でも二世でも公明党を後援していたわけです。

 それが中道新党になって解散はしないものの、創価学会公明党の時代が終わるんやろうなぁ、大阪は維新もあって公明と共産でケンカしていたあのおばちゃんたちは今頃維新ともめているのか何なのだろうなと大阪住まいの頃の知人を少し思うわけです。

 それはさておき、大阪梅田モンテカルロ(モンテ50)が閉店したそうです。ゲーセンの終わりに立ち会って閉店した店の前で集合写真を撮った格ゲーマーのポストで知りました。直感的に「久々モンテに行きたい」と思ったものの、直感を信じ切れずに家にいるとそのニュースが来て、こういう心の知らせにはオカルト説もありますが、まあそういう事もある。

 創価学会公明党の活動でも写真を撮ったことがありました。他にはシャープの奈良工場に派遣されている外注部隊でボウリングして集合写真を撮ったこともあります。

 俺には成人式の写真が無いのだけれど、創価や派遣の時代の写真にボロボロになってしまったけど、宮沢家が良家であった頃の家族写真が居間に飾られていましたが、親父がそれを見て泣くのでだんだんと見えないところに追いやられボロボロになりました。

 何となく口ずさむのはジュディーアンドマリーの「そばかす」の一節です。

 「思い出はいつもキレイだけどそれだけじゃお腹がすくわ」

 皆がきらびやかに着飾る成人式には行けなかったけど、今年の誕生日は生姜焼きを食いました。俺は貧しい身なりになってしまったので、祝いの席に着ていくものが無くなり、人前に出るのが恥ずかしいと思うようになった節があります。

 金持ちと貧乏両方を体験して、貧乏は金持ちには貧乏の気持ちは分からないという怒りを燃やしているところがあり、それは呪いの動機でもあります。

 けど、十分なお金があっても身なりに気を遣わないままちょっとした贅沢をすると「どうしてお金を持っているの?」と周囲が勘繰ります。高価な良いものを買うのは立派な身なりのお金持ちという風に街で相場が決まっているからだと思われます。

 そして、立派な身なりと言っても制服ではないので、オシャレな人はオシャレを毎日気にしているのです。このオシャレの感覚があるか無いかが、金持ちと貧乏という軸で完全に両断出来るのもではなく、まあ流石に限界まで貧しいとオシャレも出来ませんが、ちょっとした余裕をオシャレに使えるかどうかというところが、創価の中にいた頃は「なんか身なりからして暗い人たちだな」と思ったその時の気付きです。

 そう、思い出として成人式が今でも恋しいのは、晴れ着で出歩いてきらびやかな街を堂々と歩くという体験が遠い過去になってしまったからだと思うんです。

 思い出はもう取り返せないけど、せめてオッサンなりのオシャレをして、人のいるところで生活するように戻れたらちょっとはこの虚しさが和らぐかもしれないし、そういう風に自己分析できると、その納得感をこの文筆に認めて書くだけでも満足かもしれない。

 政治の中道も大事かもだけど、晴れ着と言うのは恐らく右の保守であって、特定の思想に染まり切るのではなく、保守、中道、革新はそれぞれどの人の心にも同居して欲しいもの。投票という選択で、その主張を断片的にされる苦しみに俺は遭っています。


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