科学的共感

原題として科学とは論理性、客観性、実証性の三要素を備えたものとする。

それ以外の科学もあるのかないのか、英語圏のサイエンスの意味はここでは考えない。

科学の実証性とは、つまるところ因果である。

因果とは原因あるいは幾つかの要素からなる素因を用意すれば然るのち結果となる。

素因と結果が誰がどこでやっても再現されることから、論理の正しさが認められる。

ところで、多く科学は視認性においてその正しさが示されている。

科学の進歩はものの成り立ちからその相関関係をあぶり出し、見えるということも人体において目のレンズ体に結膜や網膜を通して、視神経から脳につながって映像となるとされる。

つまり見えるというのも客観的に誰の目からも明らかであるとするのは主体性である。

ではそうではない人をどうするかというと、排斥してしまっていないことにするのである。

俺は精神病院に入院したことがあり、退院後は飲み薬をもらって自宅で療養している。

これらのことから、俺は科学は論理性、客観性、実証性の三要素から出発して最初に主体性や心因性を切り捨てているようで、科学者だと自負しているもの同士の共感性ではないかと考える。特に昨今では分子などを観察するAFMという電子顕微鏡の進化系などが利用されたりするが、計算機を通して電波を視覚化したものが根拠であるとするならば、その過程にある電子部品全てに実証的信用があって初めて客観的と言えるのであって、メーカーに特注して買ってきて映像を見ているのであれば、俺からするとテレビやYouTubeと差はないとは言わないが、線引きできない部分が残るはずだと考えている。

まあ、病人の戯言だと思ってもらってもいい。ただ、俺としては技術者であった時にコンピュータの中身なんて見えないのだから全部画面に出せと上官命令を受けてバイナリダンプやソースコードを見せたら難色を示され、自分が自分より馬鹿だと思う人間に金で使われることに激しい憤りを覚えたことはうっすら覚えている。

あの頃は自分の計算機の部品を全て全面的に信用していたし、実際に俺のデスクに色々な会社や工場からの信用が集まっていた。それが成せるのがたとえプロパガンダ放送に騙されていたとしても国家に対する信用を公務員として担っていたからだろう。

それが米Google社や米Apple社に肩入れしてFacebookで遊んでAmazonでお買い上げとなると、それ相応に国民から見て敵になるプロパガンダが貼られて魔法で攻撃される理屈も今なら分かる。売国奴ってヤツに俺はなってしまったのかもしれない。

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