リアルバウト餓狼伝説やってます

格闘ゲームってどうやったら強くなるんだろうね。

いま、ひとりでリアルバウト餓狼伝説やってます。

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FightCadeなので日本の国旗を背負っていると見つけては対戦を挑まれるのですが「I'm on hobby practice, sorry」で合ってるかどうか、とりあえず断って1人で練習。

テリーから始めて3人目のオカッパに3回負け、4回目で突破してマリーに負け。

オカッパ、大足パワーウェーブ打ったらワープで抜けて反撃してくるし、仕方ないから大足クラックで削って下がってまた大足。たまに大足を昇竜で狩られる。

これ、普通に極まった対戦とさして変わらんわ。

人間にも4ビットマイコンのようなフローで動いている人が時々いて、デタラメに動いているものに4ビットマイコンが勝ち、そのフローを見極めて上手い人が勝つところまでは分かるんだけど、もっとおぞましいロジックの人間が果たしているのか?てかネオジオ16ビットだけどな。

16ビットのスーファミでも二段森田将棋は出ていたわけで、ネオジオでも将棋ゲームはあったけどほとんどの人は勝てずに放って置かれる台だった。

ゲーセン野郎にはゲーセンに来る人の中での勝負に終始してるけど、ゲーセンに来ない人を「パンピー」つまり一般ピープル普通の人という括りでやってないだろうから全員弱くて俺らが最強みたいな世界観で生きてたことあんだけど、ゲーム作ってる人でもゲーセンに来るのは営業の気がある人で、出てこない技術職の人が何を考えているか。

また「勝つまでやる」から勝率を気にするようになると、弱いけど用心深くて勝てる相手かどうか見極めて下手を見つけたときだけ仕留める人、みたいのも自分より賢いなと思うようになった。

技術職の人がレバーを手で操るフィジカルな訓練をして対等に相手してくれるということはないし、ゲームだから勝てないように作るはずがなくそれに勝ったとて商売としてはお金を払って遊んだ結果なわけで負けた感じしかしないんだけど、じゃあ違法コピーをしてタダにして遊べば勝ちなのかというとその角度も微妙ではある。

以前の俺はプログラマーとして働いたカネをゲームソフトや音楽CDを買うのに使っていてよく不思議がられた。「どうしてコピーしないの?」と。

自分も買ってもらっているわけだから、買って返すのが礼儀と法律遵守の意味を持っていて、それで経済が循環しているから自分もまた儲かるのだと考えていた。

それがある日仕事が無くなって、不利な条件での契約を断ったときから、買って貯めてあったゲームを遊びこんで新しくゲームを買わなくなり、そうして再び良い条件の契約を勝ち取った時には、もうソフトは買わずに貯金するようになっていた。

その効果として、ゲームで遊ぶ時間が増えて労働時間が減った。貯金の額も増えている。後ろめたさもいつしか無くなったし、ゲームで強いことをゲーセンで他者にアピールしに行くことも無くなった。ネットではマウントすることもあるけど。

やり慣れたゲームをさらに突き詰めるのを休んで、新しいゲームに挑むのは始めは新鮮でも、やがてブラックボックステストのように新キャラの技をいちいち食らってみるシーケンスに突入する。正直つらい。つらいときつらいと言えたら良いのにな。

格闘ゲームってホンマに面白いのか考え直す良い機会になった。格闘ゲームをアクションゲームとして高い自由度で遊ぶためには邪魔をしない相手が必要で、相手が殺しに来ている以上はロジックの読み合いに参加して、ダメな技を捨てなくてはならない。当然の理屈に行き着く。

ロジック合戦はそれはそれで面白いし、自由度の高いアクションもそれはそれで面白い。だから1人用で最初自由に遊べて勝つと相手が強くなって攻略が必要になる。そこで殺し合いの強い相手に勝つまでコンティニューして何度もやりたい人と、3面くらいまでの難易度でずっとやりたい人に分かれそうなものだが、ゲームは3面から強くなるように調整されている。だから適当にやって3面までを何度も繰り返すのも悪い遊び方でもないんだけど、そこを乗り越えると楽しいアクションゲームを手放すことになる。

このへんの矛盾は最新のスマブラでは解消されているのだろうか。分からない。

ゲームバランスが悪い、みたいなざっくりした切り方でなく「突き詰めると新アクションが反撃確定の無意味行動になりがち」みたいなのが残念ポイントだよな。

そういう意味で実験的な90年代後期SNKゲームは掘り返すとお宝ザクザク感。


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