餓狼伝説スペシャル稼働当時のゲーメストダイヤグラムは毎月の変動制で、確固たる数字ではなく流行の対戦カードの相場でした。これはゲーム発売から特集が組まれて2ヵ月目の第2回ダイアグラムです。
ダイヤグラムがあると、田舎ではそんなに対戦が流行ったわけでもないのでゲーセンで対戦になる理由としては「ひとりで遊ばせるとクリアしてしまいそうなやつを乱入対戦で殺して明日も来て100円入れさせるため」です。
ゲーム機をを持っていない人がゲームセンターで1回100円で遊び、クリアされると飽きてやめてしまうので台を新調する費用がかかるので、コンピュータに任せておくよりは人が入って殺せるストリートファイター系のほうが便利と店は考えました。
そのためにダイアグラムというのは店に来る客のキャラに有利なキャラを知るための道具として利用されていたようです。
当時は俺はその暗黙のルールを理解しておらず、自分が店に遊びに行ったら誰かが乱入対戦してくるので、ひとりで遊ぶより面白いと思ったのです。小学校の低学年は空き地でザリガニを取ったりして遊んでいましたが、塾に行くようになってからは遊びは基本的に勉強部屋でのゲームボーイ、中学に受かってからは親から返してもらったファミコンもありましたが、それよりゲーセンで人間相手のストリートファイターをするほうがずっと面白いと思い、学食のランチを食べると言ってお小遣いをもらって菓子パンで済ませてゲーセンに通いました。
そして、自分が遊んだら誰かが入ってくるので自分も誰かが遊んでいる所に勝手に入って遊ぶようになりました。これが店からしたら客と客を装った刺客の対戦でなく客と客との対戦になるわけだから倍以上の100円玉が儲かるわけです。この遊び方が流行して街にはゲームセンターが3軒出来ました。これは奈良県大和郡山市の人口密度からは到底考えられず、東京、名古屋、大阪、福岡、札幌という都市レベルのゲーセン率です。勉強に勤しむはずの奈良学園、東大寺学園という進学校の落ちこぼれと奈良高専や工業高校などの機械系が集まって、中高くらいで進学をトップグループから少し諦めている、しかし工場などで働いたりバイトしたりする気はないそのマイナスのエネルギーがストリートファイターにぶつけられ、それは大阪電気通信大学のある寝屋川市のパチンコABCのゲームコーナーやパナソニックのある京阪沿線に京都四条の繁華街とかなんば梅田の繁華街に西の秋葉原大阪日本橋の基盤屋さんのゲームセンターを凌ぐレベルで大和郡山市でストリートファイターが研究されたのです。当時は自分たちがダイアグラムを刷新しているという感覚がありました。
しかし時は流れ、職業プログラマーになり闘劇などの催し物に遠方の人と会うためだけに足を運ぶついでで新宿のゲームセンターに寄って様子を見ていると、雑誌のライターとか攻略ビデオとかゲームにまつわるグレーゾーンの著作権を無視した二次創作者でなんとか小遣いを稼いでゲームをしている人々が雑誌ダイアグラムを自分たちが刷新するとは考えず定義されたもののように信じて、ゲーム台の脇で雑誌を見ながら「まこと対レミーは7:3だからこっちのレミーが十分勝っている」というような会話をするのを聞いて「こりゃダメだ」と思ったものです。ダイアグラムで不利をまくって勝ったからそっちのが上手いと言うならともかく、ダイアグラムで不利だからラウンド数で負けていても勝っているというアファーマティブ・アクションのような公平性をゲームの中に持ち込んで遊びを取り仕切っている。勝負じゃないの?何のためにやってんの?話にならないぜ?と当時は思ったものですが、東京には東京のルールがあって素人目には目的も何も分からないかもなと思いました。
奈良県ではギース対アクセルで5勝1敗で俺のギースの勝ちだなと思っていたら相手は「最後に勝ったのはボクですよ」と凄むので、まあ500円対100円で200円目を入れずに相手が凄んでくれたらWin-Winだなと思っています。40歳にもなって社会科の実際が分かってくると、あんなにバカな遊び方が流行ったのってこの辺だけなんだろうなというのが近頃の感想です。