俺にとってストリートファイターIIとは何だったのか

 ストリートファイターIIは1992年に発売されたゲーセンゲーム(アーケード=業務用ゲーム)

 新声社の雑誌ゲーメスト及びムック「アーケーダー」によると業務用基板は5000枚でヒットと呼ばれるところ、ストリートファイターIIの筐体は5万台出荷の大ヒットで、ゲームセンターでも当時の一番人気で台の数に対して遊びたい人が多い混雑状態で台に行列や人だかりが出来た。

 ざっくりと、台の数に対するやりたい人の数が多すぎて、後の通信対戦ブームの時代には「勝ったものが100円だけで長く勝ち抜き、負けたものは台を立つか追加の100円を入れる」ケンカの時代に入る。その後バーチャファイター2の稼働からセガサターンプレイステーションの発売を経て、ゲームセンターの対戦格闘の人気も下がり、現在ではどこのゲーセンでも台がポツーンとあって遊ぼうと思えば遊べる、何なら家に同じものを持っている。それで繁華街の対戦がまだ盛んに残っているゲーセンまで腕試しに行くか、カプコンストリートファイターⅤなどはネットで他の店舗と通信して対戦を楽しむことも出来る仕様になっている。

 まあ、ざっくりで恐縮ですが、ストリートファイターIIだけを語るとそんだけの話。

 ここに私見というか俺個人の体験を入れて語ると、中学高校と一貫の男子校の私学で部活をしない高校の不良グループに中学から混ざって、モノの貸し借りで言うとカツアゲのように取り上げられる厳しい上下関係の中でゲームで勝敗を決め勝っているからそのグループの中では年齢で序列を決めるのではなく勝敗で決めたという背景がある。

 そのルールは法規のように厳格に決まったわけではないものの、他校の不良も面白がり、学校帰りにストリートファイターIIで勝負するのが闇部活のように広まった。

 ただ、顔の知れた同じ学校のグループの中で口論での主義主張を「ゲームの台で決着するとこうなった」として納めることが出来たのは、ある程度は不良と言えど理知的な集団であったからで「何故ゲームで勝つと偉いのか」とか「勝者になって偉くなったら何か得があるのか、結局100円長く遊べても損して終わりでは」というような問いには答えは無かった。

 議論を始める前に、何故ケンカが始まったのかというと、前述の通り遊びたい人と台の数の不一致が関係していて、近年は余った台にどうやってお客さんに座ってもらうかに状況は変わっており、そこで勝者をメディアで広報してゲームをするインセンティブ(動機)を与えて、戦っていたら火に油を注ぐように煽って100円玉をどんどん入れさせようとするということなのかなと。

 この「面白いと思ってもっとやりたい、だから台を占領するために勝つ」というのと「勝ったら何かもらえるから仕事のようにゲームで勝つ」には動機としてものすごい差があって、ここも私見で申し訳ないが近年ではそこまでのめりこめず、しかしひとたび強い人として威張っていた時期があるので繕うように腕が落ちないようにか落ちた腕を取り戻すかのように義務的に続けている部分があって。

 まあ、こうしてブログという形でも文面で物事に折り合いを付けようとする態度を取っている以上は「ゲームで決める」から「議論で決める」に切り替えているわけです。

 「ゲームで勝者を決める」というのはあるとして、それがグループの代表として「勝ったものを代表とする」というのはひとつ。他には、ゲームプレイヤーでグループを作って東西戦のように「グループ同士で星の数で勝ったグループを決める」というのがあります。「二人の間で勝った負けたを決めるということが、すなわち当人同士での主従の序列であり負けたものは勝ったものに従う」という風に考えるから負けると腹が立つのは分かるんですが、本来的にゲーム以前に口喧嘩があって、その発端はゲームの台をめぐってキャラクター相性なり攻略法の正しさであるから、ゲームで決着するのです。

 ここをはき違えて「ゲームで勝ったらご馳走しろ」とか「ゲームに負けたら頭を下げろ」みたいになってくると、それが盤外戦でゲームをめぐっての戦争待ったなしで。

 まあ、消火活動をするまでもなくたくさんゲーセンにお金を入れてきた俺自身が不参加になることで、だんだんと財政基盤が弱って自然沈下したのは俺の家の近所の話なんですが、ネットに燃え広がって見えた書き込みはイタズラだったのか、まだ燃えている現場があるのか、そこらへんは正直良く分かりません。こちらからは以上です。


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