
こんにちは!カーメンこと宮澤郷介です!トルネコ3異世界212回目11階。
グレイトソードが錆びてマイナス1。ハラモチの指輪は持ちつつも大きなパンが4つあるので余裕をかましていたら、満腹度40で残りは大きなパン2個。追加が出ないなら「ちからの指輪」を外してハラモチにして粘ることになるかも。
店があったものの最大活用できずに降りてしまったことにヌルみを感じていて、どうせ粘るなら店で出来ることがもっと無かったかと後々に考えてしまう。最近の心がけは店売りの未識別アイテムに値段の名前を付けておくというもの。持ち物がいっぱいでスルーしたけど、使えないものを使えるものに入れ替えておく心がけは必要かも。
レベル13まで上げたが、自己ベストがレベル14で20階なので、今までいちばん階数の割にレベルが高いペースで探索出来ているかも。しかしモチベとテンションは下がって来た。何故なら、今までストIIくらいしか強くないのにストII関連の格ゲーと言う縛りの中でゲーセン対戦で勝って自尊心を満たしながら色々なストIIの亜種で勝つことで「色々なゲームに強いこの俺が」という主語から「トルネコ3に負けただと?許るさーん!(某ゲームの有名な誤植ゆるるさーん)」としてモチベを保っていたんだけど、そりゃ去年のクリスマスにサッカーゲームをしてみてから、世の中に俺の勝てないゲームなんて幾らでもあるんでは無いだろうかと思い直すと、トルネコ3にはそりゃトルネコ3専門の上手い人がいて、ストII界隈の俺が横槍を入れるでも無いだろうし、大体ストIIにも俺より強い人は何人もいるわけだし、みたいなしぼみ方で小さくなったんです。
まあ今日の朝から図書館に行って来て、既に色々な本を読んで勉強も十分したと思った図書館の棚が本の入れ替えですっかり見慣れない本の背表紙に置き換わったのを見て「まだまだだな」と思ったのとかも影響しているとは思います。
21階に進んで自己ベスト更新くらいは行けそうだし、それでいて99階打開は反対にまだまだ知らない事も多いだろうしという引けた感覚にもなって来て。距離感が正確になってきたのかも。そしてトルネコ3異世界は人生で一度は達成したい究極の目標のひとつから、何のことは無い小さな目標のひとつに変容して、それすら出来ない小さい自分というのが今日の自分の立ち位置。まあ11分で休憩してないで、もうちょっとやろうかね。
心がけは十字キーやAボタンの前にBボタン。これで勝率が全然違って来るはず。だって他に選択肢のあるボタン無いんだからね。あとは罠を考えると十字キーの前にAボタンと言うのもあるのかも知れんが。グレイトソードが錆びたのメッチャ気にしてる。

12階でレベル14。レベル的には自己ベストと同レベルまで来た。ちからの指輪をはずしてハラモチの指輪と大きなパンひとつ。さてどこまで持つか。
実はケータイを機種変してカメラの画素がきめ細かくなった事で写真1枚の情報量が大きくなり、前のカメラの10倍くらい5メガバイト程度の写真になっている。このままで毎日写真をアップすると月末までにはてなブログの上限を超えてしまいそう。
いや、こんなことは今までも度々あったことだ。パソコンもケータイも古くなるまで使うし、ネットサービスには課金しないでやって来ている。だからゲーム機もPS2で止まっているのはPS3やWiiにスイッチなどのゲーム機が月額課金のソフトを出して来たからだったりする。毎月取られるのは嫌なんだよ。たまにしかやらないのに放っておくとお金を取られるなんてとせっかく買ったのに課金せずに辞めて放置と言う反対の勿体ないをやらかして、またPS2に戻って遊ぶという。トルネコ3はGBAだ。
サブスクとか使わないのは時代遅れじゃろうか?クレカも持たない派。それでも20代でローンで絵画を買うという大チョンボをしている人でもある。クレカと一緒やん!失敗して覚える前に失敗しないように考えろって話ではある。段々と臆病になった。
しかしよく考えると写真容量は7日の今日で12%だから7で割って31を掛けると余裕。ケータイのプランとかもそうだが、今の世の中そういう計算をしないと渡れない。住宅ローンや保険の話もしないといけないかなとは思ってる。クルマもね。
それはトルネコ1000回みたいな事柄に対しても、達成した人への敬意とか、それとは別に自分が格闘ゲームで挙げた手柄の謙遜とか、為したことは素直に認めてそれに付随して高慢にならないように気をつければそれで良く、けど地位も名誉も付随しないのに為すために努力するその姿勢が無駄だからこそ美しけれ、本当に偉くなったりお金がもらえたりするならそこに泥臭い競争が起こることもまた摂理であり。
以前の俺は意味が無いのが美徳だったがそれは実家が太かったからで、そうでないものは手柄に応じてもらえるものが無いと応戦に値しない。それでも貧しいながらも趣味を共にした仲は深さがあるかもだが、流行ったからそれに連れて集まった者との間には確実に溝はあるよな。
ある友人は言った。「勝ってもらえる賞金が欲しいのではなくゲーセンやパチスロにジャラジャラ入れて負けるお金が欲しい」と。「それは働いて入れなきゃだめだよ」という俺はその頃は辛うじて派遣社員。相手は無職でそのときアルバイトの年収113万円の壁があった。
それから「れいわ新選組」を推す俺を理解不能だと言っていた同氏が国民民主党を結党から後押しする格好となった。物価高は俺の暮らしにも影を落とし始める。
そうすると損していたようで、実は以前の方が得だったという事案がちらほら出る。
だが、それで納得したのか、やっかみのようなことは滅多に言われなくなった。それで幾分か健やかになってきた。病人として通院は続けているが。俺も不満はない。
今の暮らしがいつまで続くのかという微かな不安をゲームで忘れて生きてます。

13階レベル15でレベルの自己ベスト更新。今まで何が難しかったんだろうというくらいの手応えで進めています。と言っても気は抜けないけど。そのうち頓死するだろうと思いつつも、段々と手堅い選択肢を自然に取れるようになってきている。
手応えとしてはひとつひとつの細かい注意が複利的に効いて来て、ラクに感じる。複利的と言葉では言うものの、実際に退職して株をやっていて、これがもし働きながら株だったらもっと大きかったのではと思うのだが、労働階級が株を買って働くと株が下がるというジンクスもまたあり、俺個人がそんなに市場を動かすほどの影響力を持っているかというと、そっと買わないと大企業の株主総会とかに俺の名前の席があって欠席だと誰かがそれを見て波及効果を産むというような事案も考えられる。
ある投資家がそれを見て「もうおしまいだ」と売り抜くことで一時的に株価は下落しても、バブル崩壊ほどの大連鎖は起こらず、持ち直している。そりゃそうだ。
しかしまあ、親父の借金もまた変動金利で複利で大変なことにならないか不安である。銀行の人が言うには事業融資だから普通の借金とは違うという話だが、親父は俺に事業の話はまだ一切してくれない。一時期は湯水のように金を使っていて大変だと思ったが、最近また真面目に働いている姿を見ることもある。
まあ俺も会社員をしている時に会社の仕事は親父に話さなかったからな。退職前にチョット話したが、そうそうわかる話でもない。母親も別居になるマンションは自費購入らしく母親がなんでそんなに持っているのと言うと株で勝ったというが親父に言わせると家のカネを持ち出したという。しかし家のカネを持ち出しても弟が学校を卒業するまでどうにか親父にもカネはあったようだし、今でも分からないことだらけではある。
それと比べたら、まあトルネコの方が分かって来た感じはあるよな。話を戻すと複利効果である。「ひとくいばこ」もグレイトソードで一撃であった。あとはパンに恵まれるか。何とかハラモチの指輪で耐えている。あと大きなパン以上がひとつ出てくれれば。運ゲーと言えば運ゲーだが、それを掴むのは複利効果。分かった気がする。打開して言えと思われているかもだが、俺は既にまあまあ得心しているのであった。
新年のテレビは「豊臣兄弟」も「テミスの不確かな法廷」も面白い。勉強も捗っている。だが、貧富の格差という問題が出たときに自分は平均値や中央値に近く、富めるものか貧しいものか分からなくなることがある。もちろん歴史を考えると現代の豊かな暮らしの範疇であることは間違いない。だが比べるともっとの金持ちに目移りする。
トルネコ打開もそういうことかもしれない。サッカーなら三浦知良に嫉妬するようなことは流石にないが、トルネコなら自分でも出来そうに思ってしまった的な。
書いている内にまた新しい心のモヤモヤがやってきた。今日は3記事分書いてしまった。誰も読んでないとまではいわず読者はいてくれるかもだが、書き過ぎの感はある。
そんなに俺の話ばかりではなく人の話も訊けと言われたら訊くが、SNSで誰かの話を読んで俺がまた別の人にブログで語り掛けていたら、この連鎖は一体どこに向かって流れていくのだろう。建設的だったり未来的だったりするものだろうか?
まあ、今日も満足のいく日で明日も今日と似たようでよく、そんな暮らしが数年続いている。これを幸福と言わずして何を幸福と言うだろうかとも思う。嫁さんと子供はおらず、将来は親が先だって今のままでは孤独になりそうなのもどこか分かっている。その意味では何処かで何かの手は打たないといけないとも思っていて、今年あたりが年男でそうではないかと去年は行動を先延ばしにした。
だが、そんな事は3年前の45歳にもあった。子育ては新陳代謝だが医療のゴールはひょっとすると不老不死かもしれない。死を受け入れる気持ちは何処かにはある。つまるところ親の死後に孤独な独居老人とならないための結婚子育てで恋愛にそんなに興味関心があるわけでもない。恋は盲目で恋愛のために大変な目に遭った経験が滅多に恋などしないように心に静かにブレーキをかけているのかも知れないがな。
それでも一定の幸福感は毎日得られている。俺は子供の頃に母親に「こんなことなら産んでくれなくて良かった」と言ってしまうほど親不孝な子供だった。あの頃よりは今は生きていて良かったかもと、生まれて来て良かったかもと思える。ゲームやアイドルなどのオタク趣味でもある種の幸福感はある。食事にもそこそこ満足している。
そしてその中で、将来にチョットした希望も持ち合わせている。だから勉強もする。そして何より、その小さな積み重ねの一環としてこのブログも書いているのだ。
どうしてよりによってトルネコの大冒険3アドバンスの記事にこんなことを書いているのだろうと思ってしまうが、まあカテゴリー分けはその程度である。俺はゲームは攻略を重ねることで人生の見え方すら変えるものだと思っている。