まず俺はソニックウイングスのワンコイン1周とかハイスコア全国1位を何となく目指してる。
取り組み方としては1日10分から1時間くらい。だいたい5,6面まで進んで10分。
しかし後半面をどうしても越してやろうという意地のようなものがない。既に満足している。
それは俺が面白いと思っているのは4面くらいまでだから。ゲーセン通いの思い出とのリンク。
5面以降は25歳の自殺未遂のあとで進めるようになった新しい出来事のように感じられる。
じゃあ何が好きって多分眞尾まおと飛燕とFー14(キースも嫌いでないが)
自衛隊にFー14が来た時は素直に嬉しかった。
多分ストリートファイターIIのガイルが好きなのもそれ。
あと付け足すとすると日本ステージの都庁ビルとレーザー打ってくるボス。
そうするとゴジラの劇中兵器スーパーXが好きなのではないかと。
じゃあそれがキービジュアルならPS2の地球防衛軍で怪獣ソラスと戦うシーンも好きだった。
思い出しては見たが、ソフトはその昔に片付けて中古ショップへ。現価格アマゾンで350円。
いや、あれは楽しかったけどもう充分遊んだと思って手放したから買い戻しは無いな。
確かにビルが壊せてゴジラを思い出すなら地球防衛軍でよいが、映像を買うのはいかがなものか。
同じゲームを繰り返し遊ぶというのはゲーセンで100円を毎日使うよりは個人の経済としては得。
しかし比較対象がゲーセンでの100円損に比べて損の度合いが少ないだけで100円儲かるわけでない。
しかも同じゲームって、レンタルビデオで映画を色々見るのとビデオ買って毎日同じ映画見るのとどう違う。
そこでようやく、ゲームというのは筋書きのある話ではなくプレイヤーの操作で結末が変わるという利点に。
つまり、負けが勝ちになるまで同じシーンを何度もリテイクするうちに自分に起こる変化もある。
その変化こそが求めているものではないだろうかと考えてみる。
一方でソニックウイングスのロムカセットが手元にないので実物が欲しいとヤフオクやアマゾンを見る。
まず、遊ぶのはエミュだが著作権法的にマズいので実物を手に入れてコンプライアンスを守りたいという思い。
それは自主的なものでなく「コピーは違法」「おまわりさんこいつです」的な風紀委員的なウザさへのバリア。
それは同時に持たざる者に対する牽制とバリアの意味も兼ねている。
俺としてはそんなのどうでもいいんじゃねと思ってる。
自分が買ったからと言って自分が売るものを買ってもらえるという約束があるわけでなし、経済的に守り損。
それでもまだ実物としてのカセットが欲しい。
実は俺が越せていないゲームはソニックウイングスだけではないのだが、なぜ特にそれが。
家にはファミコンから数えて300本以上のカセット、カード、ディスクが物置に。
越せないものでも買ってしまえば自分の持ち物になる。
なんとなく所有すると隷属させている安心感があるのだろう。
近頃では子供の頃好きだったゲームは大体クリアとかスコアとか満足行くまで遊んで難しいものに挑む傾向。
実は子供の頃から難しいのに挑んでいたが、腕が釣り合っていなかった。
難しいと思っていたものが定期的にクリアまで遊べるようになると飽きてくる。
宝物だったものがだんだんゴミの山に見えてくる。
しかし以前はゴミだと思っていたものが案外やり込み甲斐があって楽しいと思えることもある。
断捨離したいと思うのは「持っていればいつか越せるかも」に「人生のタイムリミット」が近づいてくる抑圧。
こなすほどに気分はラクに、持ち物は少なくなってゆく。
つまり。
俺にとってソニックウイングスはテレビで予告編だけを見てしまった映画のようなもの。
いつか見たい、越したいという思いを中学くらいでゲーセンで植え付けられたのだろう。
シナリオ的にはコンティニューで何度か先まで見ている。
だから、俺が欲しいものとしては「越せるようになった自分から見える世界の変化」
それは即座にやりたいわけでなく「いつか」として予約のような意味合いでカセットを持ちたい。
その時に買おうとすると今よりプレミア化していないかなという不安が購入方向。
まあ数出てるソフトだからプレミアも落ち着くだろうという安心方向に舵を切りたい。
もしカセットの値段が今の3倍になっても、そのお金を新しいパソコンを買う資金に回してエミュで。
エミュの法規の問題に戻る。