正論と正論のぶつかり合いを解く鍵は数学にある

 lim n->∞ 2n^2 + n -1 / n^2 = 2

このくらいの極限なら暗算出来るようになった。

いやこんなレベルだったかもっと違う問題だったか覚えていないが、高校の時に数列の極限、微分積分と進んでいく時に無限大∞の性質を学んでから分子も分母も無限大になる数の極限値なら無限÷無限で答えは1ではないかと森田先生に噛みつき、「なんで分からへんねん?」と返され、何故かを丁寧に教えてくれる人はおらず、引っかかった。

それから数学は学校ではついていけず、参考書で自習して、目指していた東大教授の勉強法の本など読むと「まず丸暗記してしまうこと」などと書かれており、心理学の和田先生の本などはもっと露骨に「分かるのは天才だけで、書いて覚え込むことで天才と同じ経路を辿れるようになる」みたいなことが書かれていて、ますます分からなくなった。

しかし、ある時に表紙の絵が気に入ってコンビニで手にとったモーニングの「はじめアルゴリズム」という天才だけど周りの人は気付いていない小学生が老先生に数学を教わるマンガで「自然数は無数にある、そして奇数も数え上げれば無限にあるだろう。けど、自然数に1を足していって増えるペースと奇数に2を足して増えるペースを考えていくと、同じように増えていって同じ個数だけど密度が倍の集合になる」だったかどうか正確ではないけど、数列と集合で無限を考えた時に、無限に数えられるものの中にも大小の比較をする論理的な要素はあり、はじめちゃん考える待て次号みたいな感じで。

それを読んだことで、行き詰まっていた数学の壁が破れて、その時はその時で気持ちよかったのも覚えてるけど、物置から数学の微積分の本を出してきて読んだ時に、図書館で大学の数学の本を読んでどうして高校の数学より簡単に感じるんだろうなと思っていた時のように微積分の本も1ページずつ読みづらいけど読み進めることが出来るようになったんだ。

いくつか、おかしいところがあったのは高校の数学の教え方のほうで、俺が高校の頃と今の高校で教えられている数学は微妙に違う。噛み付いていたことがその通りにあらためられて、それはそれで胸のすく思いがしたこともあるけれど、そこが訂正されてもなお理解し難い部分は少し残り、それが理解できた時は堰を切って水がドドッとあふれるように分かる感覚ではなく、山を登ったらこれから征く道のりが遠く果てしなく続いている景色が見渡せたような感覚だったんだ。

微積分の本を読んでいると、まだまだ突っ込みたいところが見つかる。そして、それらをもし俺が理解できていて、本のほうがおかしく、マンガを描いて教えてくれる先生もいたことを考えると、黒板ではなくアニメーションで見せてあげたほうが分かりやすい数式ももちろんあるわけで、数学の先生でJavaとか使う人はだいたい幾何学のアニメーションに夢中になっていたりするんだけど、それを俺は以前はプログラミングを覚えたら数学力が身につくだと誤解していて、正確にはアニメーションを見たことで直感力が身につくが正解だと考えが変わったんだ。

コンピュータは高価だけど、もちろんビデオデッキも高価だけど、古いデッキでもコンピュータと同じ効果をアニメだけで得られるなら、それは有りうるんじゃないかと。

議論に於いて正論と正論がぶつかりあった時に、多数決で決着する世の中だから分かりやすいほうが勝ってしまう。けど、どちらのほうが有益になるかを考えた時に多数の者が数学的理解で真の益とは何かをあらためて議論すれば世の中変わるんじゃないかなぁと思ったけど、どうかなぁ。変わらないかも知れないね。対立軸が有る場合に利を約束することで贈賄とか談合とかの犯罪が起こってしまう可能性も秘めているわけだから。


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