今日のマヴカプ2(アイアンマンが取られてしまった)

バンドマンの男に惚れる女子というのは売れないバンドマンのほうが好きというかステージが好きでマイナな人を応援するとステージを近くで見られるから良いのであって、付き合って結婚して旦那とすると演者として憧れたバンドマンとしての男でなくタダの男としての本人の世話を焼いたりするのかもだが、そうすると旦那の仕事として売れてお金を儲けてほしいというのと自分だけのものがみんなのものになるという葛藤を同時に突きつけられるのではないか。

そう考えるとお金持ちのファンがバンドのステージの特等席を他のチケットより高い額で買って独占するみたいなことのほうが上手くてかっこいいバンドを近くで応援したいみたいな夢の叶え方としては合理性があるようにも思える。

これと全く似たようなことを格闘ゲームの弱キャラ愛に見る。弱いキャラだから人気がなく、それで勝つとカッコいいという評価を下す人というのは自分がキャラ相性についてそれがキャラ的に弱いと認めているから知性として負けてはいなくて上から下に頑張ったで賞を与えているという精神的な優位性があるから褒めることが出来るのだ。

そういう意味で、褒めてもらえる弱キャラ使いから強いと叩かれるようになったら、弱キャラ愛作戦は失敗である。マーブルスーパーヒーロズでのアイアンマンはゲーメストでは弱キャラだった。そしてマヴカプ2のアイアンマンはとそこまでの強キャラとは思われていなかったが、優勝チームにアイアンマンが入ったことでマグニート・アイアンマン・センチネルというチームは強キャラから入りたいと思う人の御用達チームとなってしまった。

そうなったので、俺はアイアンマンを辞めて今日はガイル・アナカリス・オメガレッドというチームで遊んでいた。まだ強いチームはあるかもしれない。だがそれは強いとか勝てると表現するより、楽しいと表現するほうが適切だし、楽しみというのはひとりで独占できるものであって仲間との共有をすると独占価値が半減するという孤独と共感のどちらを取るかという葛藤がまたしても付きまとうのであった。

売れないバンドマンを応援するのは現在流行っているものより次に来るものを自分たちは知っているというような流行を追う人に対する優越感もまたあるのだろう。俺は違う。みんなと違う。あるいはそれはテレビを見て歌手になりきって唄う子供と比べてなにか自分でそれと分かる変化をつけてやらないと成長を感じ取ることが出来ないからであろうか。

そして何の先入観も持たない人が新しいゲームを始める時に優勝者のチームから入ることはとても自然なことで、それにとやかく言うのはゲームという非生産行動の中にも知的な発見はあり、それについて特許や著作権のような知的財産権を主張できないことから来る知的財産侵害ではない不倫理感への不満になる。

他人から守られないルールを自分だけ守るという愚行は俺はしなくなった。ただ、そのまま無法者として死刑台か牢獄まで突っ走るほど極端でもない。警察の管轄である刑法に触れないもの、民事で訴訟するほど強くはないもの相手にそれを侵害する。あるいは徹底的に民事で闘うべきなのかも知れないが、それにかかる労力を考えると罰金刑のほうが安かったりする。

アイアンマンは取られてしまった。何を取られたかと言うと操作の手順や相手の行動に他する応手であって、それはモノではない。そんな俺でも攻略本は読む。攻略本に書かれたことなら取ったことにはならないのかというのが新しい論点だ。まだまだ考えるべきことは多い。