ロマサガの進め方が分かってきた

 俺は小学校の頃にドラクエと出会った。ドラクエの原型がウィザードリィウルティマかというメディアの刷り込み以前にハイドライドを遊んだが、親父から小遣いをもらって近所の遠山書店で200円だったか、少年ジャンプの表紙のブルマに惹かれてそれを買った。「なんや、マンガこうたんか、そんなんテレビでマンが見たらええのに」と親父が言いドラゴンボールはまだテレビで始まっておらず表紙のブルマを見た親父が「なんや、アラレちゃんか?」とからかわれた俺はギリギリ読めた感じで「ちがう!鳥山明や!」と頑張った。「そうか、鳥山明か」と親父は言った。

 鳥山明がどういう意味かは実は今も分からないのだが、アラレちゃんを見てブルマを見て手に取った雑誌に乗っていた活字で、勉強しろと言われて字が読めるようにあった俺はテレビでも人の名前が画面に出ると字ばかり追うような子供だった。

 そんな俺はハドソンのファミコンソフトで遊ぶ普通の小学生だったが、定期購読を始めたジャンプにドラゴンクエストの広告が載った「父ちゃんこれ欲しい!」「よっしゃよっしゃ、仕入れたろ」親父は問屋に十本頼んだ。

 届いたのはダンボール箱ドラゴンクエストがひとつにタイトーのスカイデストロイヤーが9本入った箱だった「なんてことしやがる!これがほしいんか?」親父がドラゴンクエストの箱を渡してくれた。

 夢中で遊んだ。店から近所の人や同級生にも配る予定だったが、書いたようにスカイデストロイヤーが入った箱が来てドラゴンクエストを持っているのは俺ひとりとなった。説明書をボロボロになるほど読んで、そして俺はラスボスの「あの」言葉に「はい」を選んでしまった。親父は見ていた「だまされてしまったの」と残念そうだった。もういちどやりなおしてクリアしたと親父に向かって頑張ったがもう忙しそうにしていて相手にしてもらえなかった。

 ドラゴンクエストIIも買ってもらった。これはクリアした後に同級生の西沢が家にスターウォーズのカセットを持ってきて、差して俺に遊ばせて「おもしろい?」「うん、おもしろいな」俺は小学生ながらに子供心に見た映画スターウォーズの音楽がファミコンから鳴るのに懐かしさを感じ良い気分になった「ほんま?おもしろい?じゃあこれとかえて!」西沢は俺のドラクエIIを半ば取り上げるように借りて帰った。

 ある日学校で「ドラクエII返して」というと「じゃあスターウォーズ返せよー」と言って、結局西沢の家は知らないし、取られたままになってスターウォーズ返すからと言ってもドラクエIIは帰ってこなかった。

 俺は4年生から塾通いが始まり、私学を受けるという事で郡中に進む予定のほとんどの同級生と仲が悪くなり始め、そして5年で転校生の村上君と友達になった。村上君も成績が良く話が合った。そして村上君の誕生日にファミコンカセットをプレゼントしたいというと母親に「ダメよそんなもの」と言われ「アンタいっぱい持ってるんやからそのなかからいらんのあげよ」「友達やのにいらんもんってひどい」と言って俺は友情の証として大事にしていたドラクエ初代のカセットを村上君に渡した。俺の誕生日のお返しは何とファイナルファンタジーのカセットだった。

 ドラクエIIIの頃には問屋が変わったか、問題が解消されてウチの店にも三本入ったが、親父が「お客さんが先やガマンせい」と言い、発売日の入荷は遊べず二回目の入荷から友達に負けたくないと大急ぎでやりだした。まあ急いでも何も変わらないゲームだが「にげる」を増やして赤ゲージでどんどん先に進もうとした。

 結局、村上君は家から2分のマンションでいつでも会えるので、ドラクエIIIとマリオ3を貸したままでドラクエIVは受験で買ってもらえず、しかし小学校ではドラクエIVが初めてのドラクエという生徒も多く女子も混ざって大賑わい。俺は拗ねた。ジャンプを読んで話題に付いて行こうとして、メタルキングを「メタルキングスライムや!」というと「ちがうでーメタルキングや!おまえもってないやろ!」といった田中に学級委員長の選挙でも負けた。

 そんなことのあったドラクエだが、中学受験には受かって村上君は落ちてまた転校、ドラクエIIIとマリオ3は帰ってこなくなった。だが中学で話し始めたヨシイ君に「ドラクエIIIなんて三日で解いたわ!」と自慢すると「絶対ウソや!おまえウソつきやろ!」という開幕で、そしてゲーセンに誘われてヨシイ君をストIIやら餓狼伝説2でボコボコにするのがすごく端折って俺なりの仕返しで、勝っているのだから俺は俺の方が強いと思っていたが、そこらへん人間関係の良く分からないところで高校くらいになると俺がヨシイ君をいじめているというシナリオで担任から目を付けられていた。

 ドラクエには確かにゲームとして楽しく遊んだ記憶もあり、メディアの盛り立てもあって名作だと言うが、過去の諸般の理由で嫌な思い出も付きまとう疎ましいものなのだ。さらに中学高校と上がるうちに「ゲームは幼稚」というレッテルも貼られ、鳥山明の子供マンガの絵もいつまでもそう思われたくないとドラゴンボールを幼稚だとやり返してマンガ好きにケンカを売り、そして若い教師は子供のころ手塚治虫で育ってマンガに肯定的な先生もいて、ゲームには否定的で話はどんどんこじれた。

 しかし、幼稚でも俺の自意識の中に冒険してレベルを上げて魔王を倒す、その大筋での成長譚は確かに宿っていたのだが、いくら心が強いと言っても根性があるわけでもないしスポーツが強いわけでもなく学歴は専門学校で、やがてドラクエのレベルが高いというのは自身の強さと反比例しているというか、賢い奴が頭でっかちだと揶揄されるようにゲームの中ではレベルが高くても現実社会では何もできないというような感性になってゆく。

 もちろん、思い返せばケンカが好きでスポーツに強くてドラクエも好きというようなヤンチャも何人も思い当たるのだが。

 いつしか、ふっかつのじゅもんやセーブデータを失くして冒険が無くなったかのような初期カセットと落ちぶれた自分を比べると、どこにも冒険しないレベル1のデータが入院して退院してやり直している自分を投影している感じがするようになって来た。

 もういちどRPGをやってレベル上げをすればあの頃の根拠のない自信が戻るだろうか、と思うと自信の根拠はドラクエであって、俺の精神はドラクエ世界とセットなのだと思う。算数が得意で世の中を数値ステータスのようにどこか見ている。勇者であって仲間を作って冒険する。しかしそれがニートになると過去の冒険も都合のいい負け役モンスターとの戦闘も、何もかも、それでもあるだけマシでデータが無くなった世界ではまた最初からで、最初から繰り返しのゲームとしてのドラクエを何度もやるほどの根気が自分には無いようにも思う。セーブとリセットあってのドラクエウィザードリィなのだ。モンスターと戦って戦闘して強くなるというよりは、死んだら棺桶でカネ半分ではなくリセットしてセーブ地点からやり直すズルいドラクエこそが自分の本質ではないか。

 そう思って、またこれも色々というかちょっとした事情を抱えたPS2のロマンシングサガを出してきてみて、ちょっと遊んだ。3時間ちょっとで置いてあったようだ。

 吟遊詩人が仲間になって、行き先が増えて来て、RPGとしては最高に楽しい中盤に入り始めている。ドラクエ、FF,サガ、ウィズ、世界樹などRPGもやる時はやるが、どこかその都合の良い世界を征服した感じが俺の世界観にも影響している。

 そう、RPGをするのも大事だが、俺にとってはブログを書くのもエネルギーで、吐き出すことで落ち着きを取り戻したとも思う。


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