今日は随分と休まった(DQ風OSS開発チョット進む)

 寝具を新しくして二日目。明らかに睡眠の質が向上したと思われる。寝坊気味に起きて「そうだゴミの日だ」と飛び起きたのは朝ドラが終わる時間。いや起きてから寝坊が分かったので寝坊気味に起きたという文はおかしいが。しかしゴミはたまっておらず。

 そのまま「ゆりやん」をチラ見して朝食の後にテレビの前に戻ったら緑黄色社会のステージで、楽しませていただいた。確かダンス甲子園だったかakane先生の押しバンドというところからMelaの大ヒットだったように記憶しているが、一発屋とは言わないもののヒットチャート8~10位くらいを堅持している割と知っているバンドだ。

 ぼーくらはいーきものだからーを同じ旋律のまま音程を下げて歌う部分があるとか、ちゃんと分かるようになったな俺。と思ってDQ風の曲を聴きなおすと、なんかもにょっていたので、ちょっと編曲。すごい違和感があったんだけど、聴きなおして直すとそれが無くなったけど、自分の耳もやや信用できない。第三者が必要な気がする。

 それで曲を直しただけの今日の仕事だが、テレビを見て昼にはフィレオフィッシュを食ってインドからコメが輸出されるときには1トン500ドルらしくて1キロにすると73円くらいか。そんなもんなんだナーと思ってニュースも見た。

 あとはギターマガジンの古いのをちょっと読み返して、そう俺は病気で障害年金をもらっているのだから本来は働けないほどしんどくて病床からヘルパーさんを読んでもおかしくないくらいの等級なのだが、奈良でそんな介護は受けられず、自活ギリギリできて、親父も同居なので生活費が出し合いと言っても親父持ちの分が多く、そんな患者さんは他にも居て、薬局で薬剤師さんに「PS5プロ買うんだ!」という話をしている患者さんもいたが、まあ後ろに俺がいるただの当てつけとかイヤミかもしれず病院は怖い。

 そんで歯の詰め物が取れたので歯医者さんの予約を取り、そうしてモンブランをデザートとして食える金というか喫茶店とかケーキショップに行く余裕が無いわけでもないが、スーパーで売っているマロンデニッシュなら100円くらいだし、デニッシュ記事がもさもさしてマロンのなめらかな感じが損なわれるのがいただけないとは思いながらそのためだけに500円以上余分に出してデザートを食うのは幾ら何でもブルジョワすぎる。それはサラリーマン時代にゲーム会社に派遣されてグラフィッカーの森君がアイスを買いにパシッてくれて、俺がピノを頼むとその会社の社長さんもピノらしくて、下っ端はガリガリ君を頼む人もいて、それでチョコとアイスならジャンボチョコモナカを買ってふたつにパキッとするとピノくらいのグラム感ということを一緒に派遣でお助けに来ていた如何にも日本のサラリーマンサムライな橋本さんから教わった。

 そして次の会社の隣の席が高橋君だったのだが、何度も「橋本さん」と呼びちがう。

 そんなにたくさん人の名前覚えきれんがな。間違えたら超やばい偉い人の名前の書き違いとかもいちどあった。しかも高橋君のいた現場は大手ゲーム会社の傘下で重役含んだビデオ面談の日を風邪で欠席して俺はいるのかいないのか本部から分からない人となった。それとスタッフロールにクレジットされなかった件の因果は定かではないが、スースコードに名前は入れたが、もしかしてスタッフロールもプログラマが作るわけで、各自自分の名前を入れるしきたりなのだろうか、しなかったな、そういう仕事と後から思った。

 その意味では俺はOSS開発でも長らくソースに自分の名前を入れてこなかった。正体不詳で、そのプログラムの開発者が俺だという事をネットで明かすというか、GitHubならアカウントに名前が付いているからそれで充分だろうと思っていたが、ダウンロードされると消えるので、意図的に書き換えない限りいちど自分の名前を入れておくのは有効かもと思ったのが今年のDQ開発に入ってからである。

 そういやユニオンシステムの頃はパートナー社から俺と室木先輩の二人が来ていたが、俺の働きが認められた時には昇給と共に追加要員が来るようになった。その中でも川面さんというプログラマが会社のプログラムのソースコードを改変したら、そこに必ずコメントで自分の名前を// kawamo 2001/10/04みたいな感じで入れていたのだが、誰が読むのだろうなと当時思ったものだ。

 しかし長く派遣で続けていると、来て居なくなる派遣社員が何らかの名前をコードや書類に残す風習は珍しくなく、堺筋本町のS社にいた頃は、モジュールに残されたヒントからそこからさらに外注に出ているプログラムや昔に別のソフトハウスから買った既製品の外部仕様なども必要になり、方々に電話してついに秋田さんは既に定年退職していて情報が無いということが分かったりした。秋田さんって誰だ?今も謎だ。

 そういう意味ではギターマガジンをめくりながら、こういう雑誌に一度載るだけでもギタリストとしてはかなり凄い事だろうなと思ったりもした。

 んでまあ、ブログ書くのに最近写真を日課というかRSSフィードに乗るので被写体に困るのだが、こうして近影を載せておく。俺が20代の時に見た清水亮さんみたいに写ってるなぁ、と思ったりするが全部「誰それ?」だろう。

 今夜のメシは王将のギョーザ・青椒肉絲・チャーハンの予定で、実はこれ毎週金曜日のルーティンなのである。青椒肉絲は親父と半分こ。これがもうちょっと寒くなるとラーメンになったりする。食ったものカレンダーには「王将チャーハン」と書き込むが、チャーハンだけではない(だからなに?)

 昨日は疲れていて、死ぬ前にふかふかのうな重食いてぇなと思ったが、親父にそのことを話すと関西は焼きでふかふかのうな重は関東の蒸しではないかという話だった。奈良には無いのかなぁ、ふかふかのうな重。小さい頃にどっかで食った記憶だけある。

 死にたい気持ちはどっか行った。そして明日歯医者さんで詰め物を入れてもらったら、またまるで元気であるかのように暮らすだろう。忘れているが病人なのだが。

 ギターの稽古も頑張って再開した。何となくだが色々のお医者さんから70くらいかなと言われている俺の寿命。あと24年だが、そのうち14年くらい生きられたらとか、今でも既にもう結構に充分とも思っている。

 クスリが変わって寝具を変えて、不眠というには十分というか意外と寝られている。

 けどなんか、病気になって入院したときは人生終わったと思ったけど、それから裁判して年金もらえるようになった時から、主治医の先生が5回変わって、歴史を知らない先生からは労苦から解放されるために病気を騙って年金生活をしている嫌疑をかけられて年金がいちど止まったのだが、その先生が反対に今度は飛ばされて、短い期間の遡返請求が通り、だけど初診から裁判までに10年以上経っていたので本当はものすごい額の請求を社労士さんがしてくれてんだけど、払われているのは一部なのよ。

 でもまあ、今んとこお金には困らないって所まで漕ぎ着けたのは、ひとえに自分だけの力ではなく医療とか福祉のお仕事をされている方のお陰です。元気で働いてたら自分の力で全て稼いだんだって思うけど、それはそれでプログラマなのでハードウェアとお客さんの間に入った商売しか出来ない立場ではあるのよね。

 なんか障害者雇用とかで月給16万くらいの普通の仕事あったらしようかなとも思ってる。ITの高給をいちど味わうとそれより安いの不満だったけど、別にコンピュータはもう良いかってのと、人生にもう一回くらい違う夢を追う十分な期間がある気がして。

 不治の病だとはじめは思ってたしそういう噂だったけど、お薬の進化とか環境改善で、だけど元気っつっても集中力は続かないんだよなぁ。本とか長い時間読み続けられないし。そんでもプログラムは健常者の平均より良い仕事出来てる。

 いったい他にどんな仕事なら出来るだろう。お金はもらえたら何に使えるだろう。

 まあ、ふかふかのうな重はその後の楽しみに取っておいても良いなと思った。


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