前編のみだが。途中でタバコを吸って、番組のさなかに世界史の参考書をペラペラとめくって第二次世界大戦のページに書いてることを流し読みしていた。日本で教えられる第二次世界大戦はポツダム宣言の受諾で日本の敗戦として括られている。
ちな俺の一回こっきりの訪米で内陸部であるネブラスカにストIII3rdの大会に集まった人に聞いたところ、彼らはワールドウォーツーといってもピンとこずパールハーバーから日本語にすると太平洋戦争という言い方で大戦を習うらしかった。まあアメリカだし。
今日は朝からひどい疲れだが、その理由が昨晩は料理屋で酒盛りをして牛ステーキや豚肉料理などをいただきビールをプラカップ3杯飲み、歯も磨かずに寝たことで、ドイツ国民が戦争で豊かな暮らしを得たように地元の町中では飲食店が盛況で、何らか注意喚起が必要な危険な状態なのだろうか、と思いながら番組を見ていた。
漢文に「一将功なりて万骨枯る」とあるが、史書に残るのがヒトラーでも豊臣秀吉と同じことで臣下が豊かになる戦争や治世もまたあるのだろうなと知識をすり合わせる。
まあ、昨日まで2~3日MTGのデッキについて考えていたが、それはそれで別に書くとして、トレカというと確率というのはギャンブルに確率と同じで定跡手だが、麻雀には確率以外に得点計算が合って、まず得点計算があってから成立確率と掛け合わせて期待値算出するわけで、MTGのルールを全部知っている人間というのがそもそもいないから共同で文面を作ってルール改定していて、そしてルールに則った点計算もまあ、主にクリーチャーを出して攻撃すると相手のライフがパワーの分減って20点が0以下になると攻撃した側が勝ちで受けた側が負けなわけだが、引き合わせの確率以外にゲームとして知らなければならない事が多すぎて、専門家はそれはそれで続けていることで蓄積された知識があり、たまにしかやらない俺の勝因は主に数学にあると思っているが、その数学でも競プロレベルで測ると参加する理系大学生の並程度というところで、やはり低い山で賭けるカネがあったからというのを勝因に加味すると、勝てない方面に向かって努力するのと勝てるからとトレカに没頭するのは「楽は苦の種、苦は楽の種」ということで、まあ昨日ビール飲んで寝て今朝しんどかったけど、勉強自体は続けるべきだと自分に言い聞かせているのがテレビを見ながら世界史の学参も読み直しているところに現れていると思いたい。
俺は化学もアボガドロ数がデタラメである論者なんだけど、勉強を進めるとファラデー定数を出す人がいるのも分かって、未知数と未知数を関数として、実際に分かるのはクーロンだけなのではと考えているが、クローンが分かるとデタラメで未知数であるアボガドロ数からファラデー定数が求められ、クーロンからファラデー定数を使うとアボガドロ数が求まるとする人がいるのだが、それが大学受験で普通に出てくることを考えると当然大学でも真理の探究と宣言しながらウソデタラメを使うことはあるが、そんなに糾弾しなくても小学校や塾の先生が生徒にデタラメをペラペラしゃべって授業の間を繋ぐことだってあるわけだから、それが大学教授になると全部改まると思っている方が現実を見ていないという事になる。大学に理想を夢見ていたのが壊れたくらいの事だ。
当然、前述の世界史でも日本から見た物語が描かれるわけだし、それを刷新したのは俺の知識に新しくテレビの情報が入って来たからで、インプットに励むことの重要性はここからも分かる。当然理科で化学をやってアボガドロ数が出るのにファラデー定数とクーロンが出ないのは議論以前の問題であろう。
その辺の問題は目下研究中だったMTGにも活きていて、新しいデッキを試す動機となった。
しかし化学界も、実験と称してサイコロを100回振ってⅠから6までの数が揃わないということを確率の反証とするものがいるのでバカなのかなと思ったが、数学にピッタリとした数値の一致ではなく曖昧なものを持ち込めるおおらかさというか柔軟性が確率の学習には必要だと思っている。数学で求めた数と実測値の違いを誤差として受け入れられる余白が数学を頼れるものとをしてまず計算をしてみるか、俺がアボガドロ数に歯向かったように一度我慢して飲み込めば次が見えるものに対して学習を嫌ってはねのける論理を展開するかの姿勢の違いであろう。1000回くらい振ってみろと思ってる。
そう、飲んでしまった以上は俺の中も既に矛盾だから毛なのだろう。ただ、そうなった状態は中野信子の「ペルソナ」では「サナギは繭の中でドロドロに溶けている」と表現され、PS2のP3(ペルソナ3ね念のため)深夜の学校がパズルのようにバラバラになる暗喩表現とも同じで、学問を志す者が皆通る道であり、俺はそれ以前には飲めないものを突っぱねることで理路整然としているつもりだったが、幼虫だったかもだ。