「スケープゴート」冤罪にかけたれた時どう身を護るか

マジックザギャザリングの俺の成績はプロツアーマインツ予選通過7回戦で6勝1敗のベスト8だ。これを好成績と取るかオタク的な狭い世界だからそれくらい1番を取らないと好成績とは認めないと取るか。それは人による。
俺は30代まで活動家で、色々な所に足を運んで大会やイベントだなんだと参加した。その中で勝ったこともあれば負けたこともある。優勝ばかり目指していたので2位とか3位とかでも自分の中では負けであり、何だかスカッとしない心情を抱いていた。
全国優勝ではないが、スーパーストリートファイターIIの大会で優勝した。ストIIターボの地区予選と本戦で全国一位を決める方式だった、スーパーストIIでは地域の大会だけで優勝賞品がCPSファイターという今で言うアケコンがもらえる大会があった。俺はこの大会に大和郡山の「わんぱくこぞう」でストIIのメインキャラだったダルシムではなくスーパーストIIで強くなったケンで出場して優勝した。奈良の大会でケンが優勝。それだけが噂になった。大会店舗に居合わせたのはみな遠方から店に寄ってきた人であり、家族や友達はいなかった。俺が家にスティックを持って帰ると親が「なんか買ってきたんか?」「大会で優勝してもらってん」「(信じていない調子で)そうか、良かったな」となって、家にそんな物があってももう仕方ないと俺はファミコンランドの買取にスティックを8000円くらいで売ってきて、代わりに新しいスーファミソフトを買って遊び始めた。
それから、地元に前川準と名乗る変なやつが現れた。ネットで郡山に強いやつがいると知って訪ねてきたというので、俺はその噂は俺のことだろうと思って挑戦を受け、アッサリとゲームで勝ち、アイツは何をしに来たのだろうと不思議だったが、そいつは俺の部屋に遊びに来て「なあ、CPSファイターないやん!ないやん!」と大きな声で騒ぎ始めた。「アレはファミコンランドに売ったんや」「ウソや」「ホンマや!まだ行ったら多分売ってるで。誰もあんなもん買わん」「よし、行ってみよう」となってから、二人でファミコンランドへ行って「おっちゃん、あのCPSファイターある?」「あるで」「これ、俺が売ったやつやんな」「そうや、このCPSファイターはミヤザワくんのや」前川「これ、買っていい?」俺「別にいいけど」
そのころ若干19歳の俺は知らなかったが、前川くんは創価学会創価学会の人というのは状況証拠を作って寃罪するのが大好きらしい。どうやら前川くんは家にCPSファイターを飾って黙っておくことで、知らない人が部屋に来たら奈良の大会で優勝した人みたいに見えると思ったのだろうな。
俺の同級生にも創価っぽい怪しやつがいて、友人同士たむろって俺が自慢話をはじめると「ウソや!ショーコないやん!ショーコ見せろや」と言って絡んでくる。鬱陶しいやつだなと思ったが、漫研でありテレビゲーム好きであり他につるむやつもいないのでつるんだ。
証拠って殺人事件じゃないんだし、どうしてそんな単語が出るのかと思っていたが、世の中には根も葉もない噂が飛び交って、それから身を護るには証拠が必要なことが分かってきた。それで分かったことが「マジックザギャザリングは白を取ったら勝ち」という一般論なのだ。
マジックザギャザリングはルールが複雑で、分かる人が少ないので誰が勝っているか大会に来ても雑踏の中で分からないことは良くある。白黒青赤緑の五色から自分で好きな色をとって、時には2色3色と色を混ぜてもよく、黒が優勝することもあれば緑が優勝することもあるのだが、最も有名な最初の世界大会では白デッキが優勝でおもちゃ屋で店舗大会が開催されるようになってから、店舗の景品が1位から5位まで白黒青赤緑の順で配られる。だからCPSファイターを持っていればストリートファイター優勝者のフリが出来るのと同じ原理で白を持っていれば勝ちであるという創価論理に世の多くの人は騙されている。
そんなことくらいで、と侮ってはいけない。割と世の中、創価に騙されている人は多い。家に何かを飾っていればそう見えるというのは創価の人が会合だとか何とかで人の家に上がり込む文化があるからで、日本の家で他所の家に遊びに行くのは「およばれ」と言って、子供同士でも結構な大事だったりするのだ。まあ、インターネットをアマゾンショッピングでなくストリートファイターやマジックザギャザリングの強い相手を探す道具にしている俺がちょっと変わったやつで、それでウェブにかかるのが大会優勝者ではなく出会い系のサクラとか創価学会の変な人ばっかりだった、というのが話しの落ちなんですよ。
蛇足を付けると、景品を売ってお金にするってのはお金持ちにとってはトロフィーとか優勝は日常茶飯事で、証拠品よりお金のほうがよく、自慢話を人が聞くことより喫茶店でケーキセットを食べたり良いお酒を飲んだり服を買ったりとお金の使いみちはいっぱいあるんですよね。それで、ウチは爺さんの代からの財産で暮らしていたんですけど、爺さんが亡くなって親父の代になって自分も兄弟も外に勤め出て世間話をするようになって出世競争とかに巻き込まれたときに、子供の時の自慢の証拠で人間関係をマウンティングすることが結構大きな意味を持っているんだなと分かったわけです。だけど、貯金して仕事やめちゃってから、やっぱり証拠品よりお金のほうが良いです。それはまあ、金額の多寡によりけりなんですけどね。ただ、根も葉もない自慢話でマウントしてくる連中がいる限り、身を護るための証拠品ってのは大切なんですけど、殺人事件でもないので警察沙汰に出来るわけでもなく、言葉でいう「陰湿な嫌がらせ」では伝わらない創価学会の独特の人の輪の作り方があるみたいなんですよね。