統合失調症~頭を上げるか下げるか自分の頭で分からない

 まあ難しい病名ですが、簡単に言って「混乱が治らない」の一点に尽きます。

 俺は苗字が宮沢で由来的には神職のはずですが、四代前から商家として文具店を営んでおり、親父の代でオフィス機器の納入なども始め、親父はお客様に対して低頭平身で、俺も子供の頃からそれに倣って商売というものは頭を下げてするものだと思って育ちました。

 だから、商売で頭を下げて儲けた分だけ、自分がお金を払う時には堂々としていればよいという、お金を払うという事は偉いことであるという思想を親父が持っている事にも気付いていました。ある時は下げてもらったものを威張って高く払っていることが、子供の目から苦労して集めて簡単に騙し取られているように見え、親父はバカだと思っていました。

 しかし祖父が死んで、親父が頭を下げて苦労して集めているように見えたのは小銭で、実は爺さんには大家さんや株主としての収入があり、ウチは実はお金持ちでした。

 そして、そのお金は両親に兄弟がバンバン使って無くなってしまったものと俺は思っていて、19歳はバイトして20歳から専門学校に通い始めました。

 卒業後、はじめはゲーム会社(メディックス)のバイトでしたが、在学中に取っている資格にハロワの人が気付いて、斡旋業(フリーライフ、パートナー)を通して谷六のソフトハウス(ユニオンシステム)に勤めます。

 この頃から、自分は頭を下げなくとも立派にお金をもらえて、周りの人が頭を下げていることに気付いて、自意識も偉くなってしまいました。

 しかし30歳ごろに一度失職して、再就職したエルアンドエイチ社からシャープの工場に派遣されます。実家から近いし、今では古いかもですが、俺の年代では誰もが憧れる優良企業でした。

 そこで、資格を持っていること、任せられた仕事を職人然として良いものを作ること、それでも年功序列があること、また職人然と良いものを作ったつもりでも、利益を上げるためには営業職がお客さんに頭を下げて売っているという事など、関係が複雑すぎて理解できなくなって来たのです。

 それは実はこの複雑な会社勤めを辞めてギターの趣味を続けてきたことを仕事にしようとした時にも、全く同じ問題にぶち当たり出したのです。

 1枚のレコード、1回のライブにたいして、憧れていたアーティストというのは人にもよるかとは思いますが、往々にして幾多のスタッフに支えられており、レコードの録音の楽器ひとつでも、演奏が上手くて職人然としてアーティストが「よろしくお願いします」と頭を下げてふんぞり返って弾いている人がいるかと思えば、そうして頭を下げて出来た音楽をBGMに流してファンから畏敬の念を集め、そしてそれが壊れないように、テレビ出演に際してもアナウンサーや他の芸能人が讃えて引き立てる体を取った番組のみに出演を許可するような、裏から見るとペラペラの商売でも、それでも知らずに有難がる人はいて、それで回っていて、そして自分はそういう風に上手く器用に出来ない事が何かの障害なのだろうかと思い始めるという。

 まあ由来的に苗字が宮沢で、これ芸名ではなく本名なんですけど、ハンドルネームのカーメンで活動していた時の方が、周りが平たく見てくれて、上手く立ち回れました。普通に低頭平身にやっていれば問題なかったからです。

 ただ、シャープの工場の従業員まで身分を落とした時に、由来を重んじる右の人につかまり幾ら平等とと言っても「宮沢」の姓を持つものが職人仕事という辛いことをしながら頭まで下げているのはおかしすぎるという横やりが入って、沖電気に誘われます。

 沖電気で見た光景は都会のビルに普通のエレベーターでは入れない階があって、その中に銀行ATMとつながる預金データセンターのサーバールームがあるといっても専門的で分からないかもですが、要は銀行は行員が運営する末端で全部のデータが集積されるコンピュータールームがそこであるという話で、日本中の銀行とネットワークを検査したわけではないので、そこの真偽は認められない事も承知の上で、右は既に裏方の布陣を全て引いていて、その権利だけでお金が入って来るから宮沢が頭を下げることは無いよというお達しでした。年としては相手が上でも、宮家を尊重してもらったのです。

 それでも、俺にはそこまで歩んだ30年以上の人生があって、旧来的には下々の生活でも、そこにひとりひとりの人間性と交わした仲と日々の営みがあるわけです。幾ら銀行からお金が出せてそれを払えば皆が従うとしても、このカラクリはどうよ?という疑念もまた、それはそれで耐えられない立場だったのです。

 今でも親父は役所に文具を納入して、頭を下げて小銭を集めて、それで俺と二人分のメシ代を稼いでくれています。実は晩年の祖父もそうでした。大家であり、株主でありながらも、日々働いて小銭をかき集め、お金は使わないで蓄財を続けたのです。

 そう思うと俺も迂闊な買い物は出来ず、ギターにゲームにと道楽はしていますが、人生のあるいっときのように新作をバンバン買うではなく、1本買ったらそれを何度も長く遊ぶという風にしていると、無理なく生活できるのです。

 こうして書き出してみると、何に混乱しているかというと、派遣で現場に放り込まれ、そこにいる人がひとりひとりどんな役職なのかというところも良く分からないのが対人関係に於いて自分がどういう役割をすればその場にハマるのか、というところが分からないまま、下々の生活って辛いなと思うのは単に周りからいじめられているからで、頭を下げてする商売ではなく人としての尊厳を踏みにじられた時には怒ることで状況が改善することもあったかとは思いますが、それでもお金をもらうという事は頭を下げるという事だという幼少期からの強い思い込みが俺の芯にあったからだと思います。

 まあここには、パソコンを使ってプログラムを組むことを「モノを作る」という職人気質で持って接して良いか、という論点は未解決のままひとつ残っています。作ったからそれに応じて工賃なり給料なりをもらっていて、そのお金は頭を上げてももらえるものなのか、それともその上で頭まで下げないともらえないものなのかは難しいです。

 もちろん、それは作るものが「音楽」というふわっとしたものでも付きまとう問題としては似たところがあるなと思っていて、自分で作った自分で弾いたなら偉いのか、それともそれでもお金をもらうためには低頭平身であるべきかという自分の動機や存在理由から矛盾したところで拝金になってお金に負けるのは辛いなという思いもあります。

 んでまあ、俺って何がしたかったんだっけと今「したいこと」を選択できる自由があって、その上で「できたもの」と「お商売」になった段でもう一度考え直せばよく、自分で自分のために音楽をやるなら、近所にちょっと迷惑な音が漏れることから始まる近隣トラブルが対処しなければならない事であって、まだお金を払っていない人が既に音楽を聴いたことで客の気分になっているのは何かの間違いだとは思っています。

 音楽を聴いてやっているからリスナというのは字面的にはそうですが、レコードやチケットを買ってもらうお客さんだから、そちらに対して頭を下げるのであり、お金が動く前から前借も出来ずに低頭平身で身につまされない思いになるのは辛いなと。


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