MTGの面白さはカードの絵柄と能力で紡がれる世界観へ没入できるかで決まる。
はじめは賞金獲得を目指していたし、ある時から投資資金と優勝賞金の期待値を考えて「するべきではない」と判断して、プロの人と飲みに行って好きなカードの話をすると「そのカードはトーナメントレベルでは通じない」という話をされて鬱屈した感情を抱いたりもした。俺より結果を持っている人が言うんだから逆らっても良いことは無いのは分かる。
それでも好きをあきらめてまでゲームでの勝利に拘ったら楽しくなくなるのは当然で、いっかいトーナメントのことは忘れて好きを突き詰めるところからやり直して、デッキを勝てる型にはめるのではなく自分自身がワクワクして楽しめるように育てると楽しさが蘇った。
そして、3時間ほどで飽きた。やりたいこと、やってみて飽きてそれでもそれで食うしか道はないみたいなとこまで追い込まれてプロになるべく続けるのならともかく、遊ぶ目的で好きなことやって、その好きを突き詰めた結果がトーナメントレベルには敵わなかったという筋なら、悔いなくやめられると思うんだ。トーナメントのためにやりたいことを我慢して勝ちにこだわると結果が思うようについてこなかった時に凹むけど、いまは精神エネルギーがある。
やっぱ、自分で納得するまで自分で体験してみてからあきらめたことと、それは良い筋ではないと説教食らって抑え込まれたことを抱えた状態では同じデッキでも信頼感が違う。そういう意味ではトレーナーとしても伸び伸びやらせるほうが良いみたいな論者に共感できる。
直感的に「なにか違うな」と思うカードと手札に来た時「キタキタ」と思うカードは俺の実戦経験での勝ちパターンを引き寄せられるかどうかみたいなとこと繋がってる。
まだ、発展途上で、もっと好きと強いの融和点までデッキを高めてから「これはこれで強いでしょ?」と言い返せるだけの何かに辿り着きそうな気がしてる。
色々と調整した結果、今の手持ちのカードの組み合わせでこのデッキより強いものを作るのは無理ではないかと思えるポイントに到達した。そういう時はいつもデッキの俯瞰図に芸術性を感じる。それはまあ、カードの絵柄が美しいからであるが、当たりの強いカードを人気のある美しいイラストレータが担当していることは珍しくない。なのでパッと見で美しいカードが並んでいるデッキが制作サイドの狙いの強いカードがわんさと入ったデッキであるというのはあながち間違いではなく、多くの強いデッキは絵柄で見ても美しい。
だからこうして俯瞰で写真を撮って直感的に浮いているやつを弾くと良くなる時がある。