今日のマジックザギャザリング(様々な角度から物事を見ていたら)

先日のブログで「売り手の論理」と「買い手の論理」について書いた。

合意すると交換が成立するが、その損得に於いて等価交換でなければ損得が発生する。

そうして、今日の議題は「雑誌には優勝デッキが掲載されるが買うと勝てるのか」だ。

大会には1000人程度が参加して8回戦のスイス式トーナメントで優勝者を決める。

そのため再現性の科学で極論すると、同じ優勝をするためにはデッキだけでなく日付や参加者やトーナメントのくじなど、すべての条件を同じくしないと同じように優勝はできない。

雑誌に乗ってそれで別の大会に参加する時にはもう条件は変わっているからだ。

それでも優勝デッキはそれ相応に強いので、田舎町のおもちゃ屋で同じものを持って自分なりにカードを集めた人を倒すには充分なのかもしれない。それで満足できるなら、それでいいだろう。反対に東京ではそれでは情報が遅く、大型店での最新情報で足並みが揃っている。

まれに都市圏から田舎に大会荒らしを死にゆく人がいるが、それは田舎にとっても交通や宿泊で充分に元手が取れているため、田舎でも囲んで倒す馬鹿者よりお接待と捉えて負けるケースもある。

損得の話を最初に書いたが、ゲームで実際的に勝負して勝つ札と、所有者自身が満足するものが食い違っていて、都会にゲームをしにゆく人にゲームで強いカードを持たせて自分は絵柄が気に入ったものや自分の戦略に合った物と交換するという人はいる。

初期のマジック解説本には強いカードの知識を持ってそれを狙う「シャーク」と高価なカードを自分の好みのために差し出してしまう「グッピー」という海洋での生態系のような比喩がなされたが、まさにサメが強く熱帯魚が弱いというような着想でもってトーナメントでの勝利に価値を見出して食らいつくというのは「買い手の論理」に他ならない。

「そんなもの、欲しくもなんともない」と思っている人間のほうが商売として冷静だろう。

値段を知っているのとゲームが強いのとには強くて人気のカードの勝ちを売り手が上げてゆくことである程度の相関関係が出来てくる。昨今のトレカ業界ではプロプレイヤはカードショップ所属という看板を背負っており、最初の方に書いたように、雑誌を見て勝ったデッキをお金で勝って知らずに集めて自分なりに遊んでいる人を負かしたいというニーズに合わせているだけの話かもしれない。そして俺がその情報を飲めないのは、プロとして宣伝されている奴等こそを負かしてやりたいと考えてしまうからだ。しかもお金を使わないで。

f:id:karmen:20210102093252j:plain

そして今日のデッキは、小型クリーチャー高速召喚デッキに対する一定の理解が得られた上で、それでも大型クリーチャーには人気があり「小さいのばっかり入れるより順番に出てくるように少しずつ大きくしたほうが強い」という素直なマナカーブに沿って、何とも大きいカードまで順番に入れてみたレシピになっている。

論理のすり合わせが進まないのは、それが売り手の論理と買い手の論理で交換に損得が絡んだ時に貧しいものほど「騙されまい」という警戒心から相手の言葉を嘘であると決めつけるところから出発しているからだろう。そして俺がしていることは「誰とも1枚も交換をしないで、自分の持ち物からデッキの40枚を選り分けるという行為を繰り返すだけで果たしてデッキがより良いものと成り得るか」という実験である。

そして、今後は「もしも等価交換で自分のデッキが強くなるなら、他人と交換しても良い」ということを前提として他のトレカファンと接するとどうなるかということを考えていく。

俺は以前ショップ店員やジャッジから「基本カードショップは捨てられたゴミを売買して成り立っているだけだから、どんどん買っていらないものを捨ててもらわないと成り立たず、等価交換を持ちかけるなら帰って欲しい」という態度を取られてきた。

そして俺が目指すところはショップの利益や大会の参加費なしに人がふたりいてカードを持っているだけでトランプでもするように気兼ねなく遊べるサークルを作ることである。

トレカショップを儲けさせるつもりは無いが、俺も親父は自営業で文房具店をしていて、鉛筆1本にしたって問屋から仕入れる値段とお客さんに売る値段には差額が有り、それで店は成り立っている。だから、新品のブースターパックを買って開封するだけでも普通の営業利益はあるはずだとも考えている。したがって、それだけでは経営が成り立たないなら、トイザらスミドリ電化のような量販店でもパックは売られているので、各自それを買ってもらうという初期投資だけは否定できない。

しかし「買ったのに遊んでくれる相手がいない」というのは買ったものとして損が過ぎる。だからこうしてブログにカードゲーム関連の記事を書き、ネット経由で興味を持ってもらうという活動をしているのだ。