ってホント?歌うのが好きでバンド仲間が洋楽志向だからはぐれて歌手ひとりアカペラだと情けないからギターもしてる。
新しいゲームが欲しいけど面白いものが探せなかったり買うお金が惜しかったりで、ゲームに詳しい業界の人から流行りのゲームの元ネタになったゲームを教えてもらって遊んでる。
コンピュータ将棋はね、人生で多くの時間を割いたというほどでもないかもだけど、誇れる趣味ではあると思う。
そこから裏返していくと、ゲームをたくさん買っても遊びつくせないのも実情で、コンピュータ将棋は商品として対局型に落とし込んだけど、作り始めはNECのバリュースターで自動対極にして楽しんでいた。そこから、ゲームも自分で遊ぶのではなくテレビモニタのテレビを消して集中して遊ぶのではなく、もうひとつモニタを置いて「シムシティ」とか「サカつく」のような放っておく系にしたらどうか。電気の無駄かな。
このブログの広告戦略も似たような考えで組み替える。お金が入ってくるのは趣味が実益になって嬉しいが、その少ない額の統計値をずっと見比べて改良してを、もっとコンピュータ将棋みたいに自動にできないか。放っておくだけでも良いんだけど、そうすると競合他社に売り上げを取られてシステムが閑古鳥になる気がして、ブログは更新してる。
ただ、スーファミ期の名作ゲームポピュラスは神になって人の繁栄を見るゲームというかガジェット的なものだけど、プログラマとしてRPGやSTGは比較的作れる人が多い中でSLG系が作れる方が技術的に上というか、仕事量は多いよね。遊びやすさでRPGやSTGの体を取りながらグラフィックスが進化した昨今のゲーム機ではなく、いまいちどスーファミ期に戻ったら海外の会社が開発したゲームには放っておく系ガジェットのものがあり、日本でもアクトレイザーとかが目指したけど結局アクションシーンがあった。パソコンゲームには良くあったみたいだけど。
そのへん、ポピュラス的にブログを育てるとなると、まず「はてな」「Google」「Amazon」などのサービスに飼いならされるのは傘下での与えられた発展なので、自分でも手の届く富士通や楽天の株を買って競合戦略で勝負することも考えた。
株のチャートで「市場は遅れて付いてくる」というのは過去の格言で、俺が30代で株を始めたときにちょっと儲かって、それからトレーダーにマークされて見るもの全て先読みで高くされた事があった。誰かに監視されている錯覚のような病気になったが、今でもそのトリック全ては分からないものの、文字通り「目を付けられた」のだろう。
しかし、今は勝っている株と負けている株を両方持っていて、配当金を小遣いにしている。買い替えるとなると、売られる側としては一大事なわけで、積み増す形で買えるようになるまでは勝負に出ず日本円の現金預金で貯めている。
ポピュラスは神になって原始の太古から街を起こすが、街が出来た後に生まれて住民である俺が神を冒涜するほどの支配権を得ることはまだ難しい。ハンデ付きの対戦型ポピュラスで繁栄が見つかったら攻撃されて全滅させられるみたいな妄想になる。
そうなると、ゲームの勝ち負けの定義以前に人として生き残ること、何が目標か自分で設定することなどが挙げられ、大手企業が相手でそれも人を雇って社会サービスをする企業ではなくコンピュータシステムとかネットワーク機器にプログラムを送り込んで自動集金するシステムを相手に、どう戦うかというところがテーマとなってくる。
子分になって小遣いをもらって満足するのではなく、戦いたい。そのためには同じ意思を持ったものと仲間になって協力するとか、端末を増やして自動計算の効率を上げていくというようなことが必要になるかもしれない。
その状況でギターを弾いていていいのか、ゲームを自動対局ではなくコントローラで遊んでいていいのか、というとダメな気もするが、まだ俺にはできないこともあり、余暇の時間の過ごし方まで全て見直すほど大敵に打ち勝つことが大事でもないかもだ。
技術者ブログにガジェットが満載で、訪れて読むブログでは無くブックマークしてホームページにしたくなるようなブログははてなダイアリー時代に実験したが、そういう風に自己完結しようとしたところが恐らく過ちで、ブログランキングサイトのリンクはせっかくのクリックを広告コンバージョンではなく友達のブログにリンクするというくだらない仕組みなのだが、そうすることで友達が自分で自分のホームページを頑張って面白くしていく集団になれば、ポピュラス的に繫栄しているということになるだろう。
その上で、自分の立ち位置やすべきこともまた変わってくるかなと。今はよそがどんなことになっているか、戦況を把握するのにログを取るという地味な仕事からやりなおしている。趣味として、エレキギターとレトロゲームは通信OK!
けど、コンピュータ将棋はな。何かもうひとつ違うつながりのハッシュタグで三本柱としたい。もうちょっとポップでキャッチーなコンピュータ将棋的な何か。
ウェブ2.0時代に流行った「ガジェット」みたいなものがまた増えたら欲しいです。デジタルではなく、アナログでも水車とかがひとつの完成形だと思うので、電気は燃料がいるから今それの奪い合いで戦争なってんじゃん。社会問題ともつながってる。
電池で動くゲームボーイくらいのガジェットがもし太陽電池で動くゲームウォッチくらいのガジェットになったら欲しかもだし、充電式で遊べるケータイゲーム機でポピュラス系ゲームを放っておいて遊ぶみたいなことから始めようかなと思ってます。
まあ、Googleなどの検索サービスでこのサイトを見つけてくれた人が、ひと記事あたりの文書を読んで、次のアクションとして「サイト内検索」とかを出されても二度手間だと思うだろう。この何年かは「クリックして購買」がコンバージョンになることを目指して設計を考えてたけど、別に何も買ってもらえなくても俺が人として文章を読んでもらって共感が得られたら、みたいな性格に変わってきているのもある。
見つけてもらって、読んでもらったら嬉しいもので、文章くだんねーと思われた方が何か売れるとか、その売りものが結局のところエログロナンセンスとかダメだと思う。
ハイソーシャルで、ちょっと敷居があるけど、分かってくると面白くて輪が広がる。そういうSNSだよね、はてなって。ただ、出発点が貧しく左派的であったのが強くなって儲かるとか言われても、お金以上に興味のあることでつながるってのが、生活苦でとにかく1円でも余計に欲しいという人の目に触れることや関わることが、社会にどんな軋轢を生んでいくかみたいなのは読み切れなかった。
だから、アフィリエイトで儲かるといっても、既に大企業であるGoogleやAmazonがもっと儲かるというのを指をくわえて見ているというのではダメだとも思う。これは政治的なイデオロギーの問題で、やらない善よりやる偽善で日本マクドナルドは日本食の文化を壊したかもだけど人に栄養のあるハンバーガーをどこでも与えて旅行を容易にして最終的には貧しい人に雇用や寄付を与えていると見るか、そんなことをしたからコメが売れなくなって貧しい人を先に作ってしまったと見るか。流れの一部だけ切り取っても見えないものに対して先見性を持ってそうしたか、やってみて流れを見て舵を切ったかまでは分からない部分もあるよね。
自動にしちゃっても、何らかの方法で俺自身がログを追って現象を想像できる形で管理できる範囲内で事を進めたいとは思ってます。Google任せでは何が売れてお金が入ったか掴めないし誰がお金を払ってくれたのかも分からない。それは商売とは言わない。