夢と現実

 子供の頃に居間に大きなテレビがあって両親祖父母に姉がテレビを見ているマンガ「ちびまる子ちゃん」のような世界で、床の間に物置から見つけてきた小さなテレビにファミコンをつないで遊んでいた。ぼんやりとした子供時代の記憶である。昭和50~60年代だ。

 その頃によく遊んでいたファミコンタイトルをひとつ思い出したのはプログラマーが多いSNSで古いパソコンでファミコンかその前身のゲーセンゲームを模したものを作って遊ぶ会で、俺自身も懐かしのファミコンソフトをJavaで模したものを動画にしてアップしているが、返事のようにどこかの誰かの自作のゲームの動画が上がってくる。

 ああ、懐かしいな、どんな音楽だったかなとタバコを吸ってドリップマシンで淹れたブラックコーヒーを飲んでいると、ふいにスタートボタンを押して面が始まる音楽を思い出し、そこからどんどん続くメロディ。覚えているもんだなぁ。

 ネットで検索するとAIが学習して値段が上がってしまったりしないだろうか、と思うもののマイナな通販サイトで値段を見ると捨て値で山ほど売られていた。

 というか、持ってなかったかと物置にスリッパをはいて突入すると、物陰で暗いところにファミコンカセットがダンボールに詰められて裸でたくさん入っているゾーンがあって、子供の時に遊んだものとバイトして後から買ったものが混ざっているが、その中から「ああ、これは子供の時によく遊んだな」という別のものを2つほど見つけた。ひとつは自分のものだったもの、もうひとつは親戚が持っていて羨ましかったやつだ。

 どちらかというと、ポチクリして増やすのではなく何とか整理を付けて家を片付けないとと思った。結婚できない、それ以前に付き合う自信がない人の多くは部屋が散らかっている人らしい。こんな部屋に人は招かれないと思うと家族になって同居人が出来るイメージが作れないからだろう。

 まあ、その通りに俺の家を片付けて将来の奥さんと子供の居場所を作らないといけないよなと思うと俺の子供時代を懐かしむアイテムは今の半分でも4分の1でも10分の1でも全然困らないわけで。

 人の居場所も無いほどのゲーム機の山というのは確かに子供のころの夢だが、ひとつひとつ遊んで時間はどんどん過ぎて、たくさん持つがゆえにひとつひとつの夢が機械のひとつという現実になってしまい、壊れかけた機械のガラクタの山で家の幾つかの空間が占領されて、狭い部屋で寝ている。

 なんとかしてくれる助っ人なんているだろうか。それでも倉庫からいつの間にか箱付きのカセットが無くなって出入りの業者を疑ったりもしていたけど、そういうものじゃなくてもうこれごっそり持って行ってくれた方がと気が変わりそうにもなる。

 ひとつひとつ片付けて、勘定して、お商売して、新しい持ち手に譲って行けばまあまあ将来のお金が足されるかもしれないが、けだるくてこのままごそっと誰かに引き取ってもらおうかとかも思う。けど、そうしてしまうとあの楽しかった居間での家族の団欒を思い出す手がかりが無くなってしまうそうで怖いのだ。


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