面白かったけど、いい加減飽きている。何度目だろう。ハマって遊んで飽きて辞めてまた思い出して遊ぶ。そうウチにはゲーム機が色々あるのでとっかえひっかえ遊べるのだが、実は19の頃から集めたゲーム機で遊んでいるようで、解いたゲームはあまりやらなくなりコレクションを眺めながら本でも読んでウェブ日記を付けてきたのがブログになって、今もゲームはたまに遊ぶくらいでブログのカウンタは毎日チェックしているのだが、それが何とも言えず無駄なのは分かっていても、外界との連絡を遮断して家で過ごしているとブログ何人読みに来たという数字が外界とのつながりを知る手がかりなのである。
んでまあ、地球温暖化を考えるとか言うと大言壮語になるかもだが、最近はお小遣いが少なくてお金の勘定に結構な頭のリソースを使う。ほったらかしの株の値段をチェックしたりもする。サラリーマン時代には仕事はするものしなきゃならんもので残業も多く趣味に使ったとしてゲーセンを遊ぶくらいでゲーム機買っても家でゆっくりする暇もなくお金は貯まる一方でお金の心配はせず仕事は建物の免振設計で地震の心配か、それが大丈夫なら地球の心配をしていて新書を読んで温暖化とか問題だけど研究職としてやるには化学が高校の時に苦手だったナーとか思っていた。
んで何で遊戯王やねんと言うと、退職する前に人生悔いないようにしたいと32歳でギターはじめて小室哲哉と同じモデルのシンセサイザも買って、んで多分人並みてか少額だけど音楽家として奨励金に通るくらいには活動して、俺は努力は実らない事もある派閥の人間だったけど、収益が100円でたら実というとリンゴかミカンひとつくらいなら買えるんじゃって多分ミカンは三つでリンゴは買えないかもだけど、買えたとして、それは努力が文字通りに実ってリンゴになったわけではなく人並みに努力して練習して演奏を自撮りしてネットにアップロードして広告収入とかと結びついて奨励金が出てそれで得た対価をどこかの農地で育ったリンゴの木に実ったリンゴが摘み取られて近所のスーパーまで運ばれて現金化した奨励金と交換したってことだから、努力が実ったというと風が吹いたら桶屋が儲かったみたいな話ではあるよな。
そんなふうに地球温暖化も二酸化炭素が出たら地球の平均気温が2℃上がるとか言われたら、どこから何がどうなって2℃変わるのが分からないのが最大多数派で新書を読んで変な話にかぶれたみたいだからみんなで安心させようみたいな感じで大学出た友達とか話を聞いた教授とかが「科学的に大丈夫」とか言って、近所のお医者さんにも「気温が2℃上がったら人間死にませんか?」聞くと「人間2℃くらい上がっても大丈夫!」と言われたんだけど、今日のNHKで地球はやっぱり温暖化して21世紀末には鹿児島あたりで熱中症で死ぬ人が10倍になるとか、やってたんだけど、新書を読んだ時ほどの切迫感ではなく、平和でニュースが無くてちょっと不安を煽るのも毎日のテレビの楽しみのスパイスみたいな感じの番組なんだろうなぁと思って流していた。
まあでも大枚はたいてお金を使ってやりたいようなことも無いわけでもないけど、たとえばセスナ旅行とかして感動するかと言うと俺多分スーファミのスターフォックスで良くて疑似体験で済ませることがコンピュータの有意義性であって、気温の話もどこぞの東大教授が人工衛星が始まった頃に8ビットくらいだと思うんだけどコンピュータで気候をシミュレーションした結果から2℃上がるという話が出だしたんだっけと。
スターフォックスがエースコンバット6になって絵も体験もリアルに近づいたけど、皆に分からないと言われるゲームの本質って結局計算機シミュレーションによる疑似体験で、視覚で言うと解像度が上がっているわけで体験は良くなっているけど、物理シミュレーションとしての運動法則みたいなものって8ビットくらいからそんなに変わっていないと思っていて、多分だけど気候の研究もその昔のプログラムで良いんだろうけど、実物拝んだことは無いし、その頃はC言語とか無くてアセンブラだと思われるので読んでも俺には意味わからない可能性も高い。
そうなると頼りは解説なわけだが、そんな先生の名前も忘れちまったか元から書いてなかったか、段々と興味が薄れて行っているのだ。いや正直言ってギター始めたときは2℃上がることに人間という生物の終わりを見ていて、絶滅するなら子を作っても仕方ないみたいな極論とその諦念からやってみたかったバンドやりたい悔いなく生きて死のうみたいに思ってたわけで、そういや中高生くらいで勉強して大人になって年金もらう前に死んだら嫌だから学生の間に遊ぼうと思うような学生だったな。病弱で虫歯もあった。それが40歳から化学の復讐もしてもういちど温暖化考えようってんだから偉いもんだと言いたいけど、化学やったくらいで解決するのなら誰も新書を書いて後世の研究者に問題提起しようなんて思わないってか東大の先生よ?じゃあ頑張れ東大!フレーフレー!でええんちゃうのかな、というのも率直な感想。俺バカだから分かんねぇよって、だけど東大の試験って椅子が300で志望者が多いから試験が難しいだけであって、椅子にあぶれるものは試験前からおおむね割り出されて地方国公立や上位私大に割り振られるということで、俺もコンピュータやりたいってんならと専門学校に行ったから試験は簡単だったんだけど、それでも日本国民の全責任を世代のうちの300人に押し付けてフレーフレーって高校野球で甲子園まで上がる生徒だけでももっといそうだぞ?ナインで32校だったら同じくらい?
けど何やったらええねんって聞いて分かる仕事なら負け役買うだけで良いんだが、どうしたらいいのか分からない事をする研究てやつが試験で振り落とされるレベルでも出来るのかという所はかなり疑問というか心配ではあるよな。ただ、まず勉強と言っても何の単位でも地球を冷やすのに関係ありそうなことって何だってなって、気象やって自然やってんのが木を植えるしか無くて2℃上がる見込みって言ってきたんだよな。
ただプラゴミとかCO2に対する個人で出来る小さな努力みたいなことに俺は懐疑的で、石油を消費バレルでそれが事実だとしてそこに手作業で小さなCO2排出削減をしても人間も生きてたら炭水化物食って息吐いてCO2出しているわけで焼け石に水だという気しかしない。ただ子供はだまされるので、ともすると狡猾な子供だましではあるよな。同じ子供だましなら協力の皮をかぶっている方が本人は正義だと思っていてたちが悪い。けど海岸掃除とかは本当に良いことだとは思うけど。
割と現実的だと思った冷やし方が酒造りでアルコールが気化する時にひやっとするあの化学冷却を大々的に出来ないかというのはアメリカでそんな事が起こったのかCGで作られたのか、森の近くの平原で小屋一杯の樽が何件も連なっている景色の中を馬に乗ったオッサンが走って行くのをカメラで追いかけて、その樽がウイスキー樽でカメラと馬では収まり切れないくらいのスケール感でウイスキーが醸造されている景色の映像を暇つぶしのSNSの広告動画でチラッと流されて驚いて二度と何処の何だったか分からないんだけど、俺に対する何らかの合図だったのかなとは思ってる。ちな商店街の近くに空き地が出来て酒造メーカーが1件買ってくれてそこで酒は造られているらしい。
そうすると英王室の皇太子妃さまが病気から回復されたということで森林浴をする光景が映っていて「ああ森は良いよな」と思った。でも植樹って実は俺が子供の頃からしなきゃいけない問題みたく言われていて、んで日本のとりわけ奈良でも林業って高度経済成長でいっかい廃ったけど復活して産業として収益性が足りなくても年金足して続けた爺さんとが頑張ってくれt若手が継いで何とか食っていける仕事になっているのだとか。
けど世界的規模で同じ教育を行き渡らせないとまた焼き畑農業みたいので伐採されて燃やされてダメになったりするケースもあるらしく、また気候変動による森林火災とかもあるらしい。まあ自分でやれって意見もあろうかとは思いますが、広告活動が行き届いてなくて同じ過ちが繰り返されるなら、ブログの過去ログにもあるんですけどニュースとして目に留まるように焼き直してこうして記事にしているのですが、耳にするとうるさく目にすると煩わしい、そんな語り口になってしまいましたね。逆効果かも。
まあ教育と言うと俺は「学校教師公務員論者」なわけだけど、せめて温暖化問題が国策くらいのならないと話が始まらないと言いつつも、俺自身が安定した仕事に就いてはじめてそこまで気が回って問題提起に気付けたくらいで、お金がないとお金の勘定が優先されて、そして取捨選択として遠い未来までの子孫繁栄よりまず現世利益というか自分の夢を小さな音楽の夢を叶えるのが先決であったし、そして繁栄の前に配偶者も子供もいないわけで、21世紀末に鹿児島で死者10倍くらいだったら地震より小事って事になるよなーとは計算されているわけです。
「ひとりの人間の命と十人の命、その重さには変わりはない」みたいなこと俺が中学くらいまでは命の重さの問題として良く言われたんですけど、阪神淡路大震災とか関東大震災からは「まず自分の命」という考え方がメディアでも言われるようになりましたな。その考え方で行くとまず自分の命、そして次は我が子の命となるでしょう。助かる命に助からない命に命の選別という問題に、温暖化の危険地域の予測が出来たとして経済が安全地帯を高家賃で危険地帯を低家賃とするとまさに富める命と貧しい命みたいな命の価値の金銭的な具現化が始まるような、それは倫理的に秘匿されていただけで元々考えている人は皆知っていたことが悪露されただけなのかとか。
てか俺が涼んでいるエアコンなる物も部屋に冷気を送りこんで夏の暑い時でも暖気を外に押し付けるそういう装置なので、発明や普及も分かっているものからすると金持ちのための必要悪として外気温の上昇は織り込み済みで、家電の普及でいよいよ社会問題化するんだけど、その頃にはたぶん初めの原理を発明した人は高齢か故人になっていて、年金とかもそうだけど戦後の人間だって戦争で死んだ人よりは生きているだけマシなのか、それでも苦境を生きていて、それと比べたら俺のような昭和末期の生まれはまあ学校生活で嫌な事はあれ先の世代から見て「時代の寵児」とまあ揶揄されたけど、アレはホリエモンの事を暗に建築家の黒川さんだったかな、ジャーナリストが好きに書いただけで読まされた中から俺が特にカチンと来て覚えているだけで世の人に皆から言われたわけでもなく。
ただまあ、堀江騒動のときには歩いているクリスタ長堀の書店が通路の半分を占めていて、そこにポスターペタペタ貼られて嫌な気分でしたよね。地元に帰ってからも近所の啓林堂で図書館戦争の平積みとか、いいかげん何か口で言ったらどうなんだと思うくらい本を並べて黙って至っている店員が憎い時がある。
だからと言ってもし来週本屋に行って雑誌からマンガから推理小説の棚まで地球温暖化絡みの表紙ものに化けていたらそんなことで世界が何か変わるのかと考えると、テレビに覇権を奪われた廃ったメディアとしての書店の中に小さく描かれた温暖化問題ではあって、そりゃ本を読む書店側の人間でもまだ喫緊の課題ではないと判断してるのだろうな。
そうすると、俺も本屋に行ったら色々な本が選べて楽しい本屋であって欲しいと思うので、俺のブログもこの話はこの記事だけにして、エアコン付けてまた積みゲーになっているゲームでも動かしてゲームブログにしようと思います。ホントにそれでいい?
いや研究と称して何かするでもそれは俺がすれば良いのであって成果も出ないのに何かやってますアピールが本当にいるのかと自問はしておきます。