今日のカプエス2(A豪鬼バルログベガGP2022)

 まあ俺が良くアップしているこの勝ち台詞の写真、CAPグルーヴのキャラグラ1枚絵を描いている西村キヌ氏のイラストが好きなんですよね。

 しかしこの勝ち台詞ショットが取れるのは4チーム目まで。乱入ボスがあると4チーム目の台詞がカットされてボス乱入で中ボスに勝つと台詞になって、そこまででGP1500超えることもあるけど、今回はGP1485から決勝、決勝でのポイントで1500超えて、そんで1500超えると何なのかと言うとラスボスが神豪鬼かゴッドルガールに変わって、それ倒してクリアするとエンディングが変わるんですよね。

 エンディング含めネタバレはどうよと思うんだけど、まあこういう風に神豪鬼を倒したショットをたまに収めるのも良いかなと。ちょっと遊んだことがあるくらいの人からすると、神豪鬼を倒すことすら信じられないと思う人もいるかもだけど、STG界隈でスコアをやっていると格闘ゲームはそれよか簡単でそれは神豪鬼やゴッドルガールを含めてもそうかと言うと、そうさね、神豪鬼やゴッドルガールくらいになるとSTGでもそれよか簡単に思う作品もあるし、違うジャンルの難易度をどう比べるかと言うと、何回くらいコインを入れてやり直しとかコンティニューをしたかで見ると神豪鬼100回くらいやっても倒せなかったって意見もあるにはある。

 けど、俺はサガットブランカで割と初期に倒してしまって、皆が「すごいボスが出る!」と言ってても「何のこと?」で「神豪鬼知らないの?」「ああ、あれなら倒したけど?」「家庭用で倒したら自キャラで使えるらしいで?」「ああ、ウチ使えるようになってるけど使って何か面白い?」「うわーすげーゴッドルガール使える―!」「大会前だから普通のキャラで練習しないのか?」「なんで大会とか出たがるの?」というような問答があったと思います。井上や梅園と。

 大体スコアはレシオ1のほうが突き詰めると高得点にしやすく、何故なら威力が低いのでコンボボーナスを何度も1試合で稼げるからで、コンボの段数が多いキャラの方がスコアが高く、それがブランカサガットが強くても他のキャラで遊ぶひとつの要因。

 大会とか対戦を辞めたらひとり用でスコアをすることだけが楽しみになったのはここ10年くらいの事。

 自分でゲームしてカメラを待機状態にして、無操作で画面遷移などするところを写真に収めるって手法でやっているから、全録画とかと比べると手持ちの機材で工夫してやってるつもりなんだけど、スーファミ重装機兵ヴァルケンの全国一位を撮った時は一旦VHSビデオにしてそれをNECのガラケーのビデオ録画機能で数分刻みに起こして、そんでネットにアップしたら「VHSの操作線が見える」ということから、誰かが出したスコアのビデオを撮っただけではないかって、俺がSTG界隈のスコアラーとして有名でも無かったし、色々嫌疑をかけられて、結局色々あって今は証拠がほとんどなく、またいちどネットにアップしたので他人のところにダウンロードした証拠があるかもしれず、俺はそれは迂闊だったので永遠の証拠になると思ってアップしたけど、他人にダウンロードされると見方によっては偽証が成立する。味方がおらんのよ。

 それでよく俺は疑われたら「何なら俺の家に来てずっと隣で見てるか?」とか言うんだけど、異性に対するプロポーズとしては稚拙ながら成立しうるとしても、同性で敵に回っている人に言っても無意味なようで。同性で自慢の証拠になるって本当に竹馬の友のような関係ならあるのかもだが、そもそもが「俺のが強い」マウント合戦であるゲーセン対戦仲間で「アイツの方が強い」ということを立証してくれるものなどおらず。

 けどまあ、どちらがどれくらい強いのかという事はVF4のカードでいちどハッキリ出ているけど、それを支えるのは財力も必要で、ネットで対戦し放題になってから目立つ人ってまあね、言わないでおくけど、俺はラグとかもあって不参加だから不戦敗を認めておく。スーパーストIVは十連勝までメダル取ったけど、電源ブチ切りとか煽りとか、ちょっとスポーツマンシップに反する行為に耐えられない部分もあって。

 だから残っている奴がそういう行為に出たかどうかはともかく、耐えてやってるとかお互い様みたいな感覚なら、もはや特殊性はあってもネットゲーの一環だと思ってる。

 証人問題は実は重要で、VF4以前にカード記録が無かった頃は路地裏などの目立たないゲーセンに誘ってそこで勝たせて技を出させて、人目に付く繁華街のゲーセンであとから盗んだ技をみせびらかす、というようなことを賢い奴がやっていて、取った取られたの言い合いもそれに加担する仲間の数だったように覚えている。

 俺は子供の頃は甘えん坊キャラだったが、ゲーセン通いからいつしか一匹狼のキャラになっていた。それについては全然別角度の心理分析が必要だが、甘えん坊で一緒に遊ぼうとゲーセンに誘って、そこで勝ってカネを入れさせて、時間差で高卒になってからゲーセンでバイトして売り上げを取り返していたのを一括で考えて、サクラ商法とか女を使ったキャバクラの接客に言葉遣いを盗むというようなことまで、ゲーセンバイトから専門学校までにヤクザの組織の傘下で働いた経験は俺の人格形成に影響した。

 俺の人間性であったものは、親譲りの商売を幼少期から人格化したもので、俺と親父は所作が同じでも計算して騙すためにやるのと自然に子供時代からマネてそうであるというので思想としては正反対に対立していた。

 しかし俺は20代で貧困を味わい、30代で実家に戻ってから同居で家計を立て直しているので、今は親父と同じく商売を建前上に是としてお金を稼いでメシを買うってのに賛成している。

 そうなると、ゲーセンは100円払って遊ぶだけなので、楽しいという感情を排したらただの損で、そして病気で感情は平坦化している。薬で補っている。

 そうなって、感情たっぷりな人文は描けない。その上での文筆であるわけで、書き出してみると感情としては、恨みつらみが根っこの方に強く残っている。誰かのせいと明確に出来ない、社会のせい、それもゲーセンを巡る裏社会と接したからだ。

 その辺のことをいま、NHKの朝ドラでおむすびがギャルと絡んでゆく様に絡めて自分を見つめなおしている。ドラマ、どうなるんだろうね。

 まあ、その意味では昨日も一昨日もゲームはしてなかって、毎日練習するモードから、息抜きとしてのゲームに転換したいんだけど、やるとスコアとか勝ち負けを気にする元のモードに戻りそうになる。このへんの思想も何を目指すべきかやり直す必要があるだろう。矛盾を抱えて生きているのだ。

 書く前は完全に何か怒りの感情があったが、ゲーム機に電源を入れる前は勉強が順調に捗ってかなりのゴキゲンモードだった。「さあ、遊ぼう、余裕が出来た!」って感じだった。まあゲームから楽しみとストレスを両方受けていて、まだセルフコントロールが甘いのだろうな。一方でそれは平坦化した感情が服薬で起伏を持った回復傾向でもあり、かといって生活が健全でもなく同じ調子で暮らしているとまた発病する、病巣の中で服薬して辛うじて生きているということで、部屋の片付けや新しい人間関係とか、古い人間関係の内外的整理を出来ていないから、またぐちゃぐちゃに悩むのだろう。

 その病巣とはつまるところ、ネット掲示板の罵詈雑言とリアルに付き合う人間との関係だが、「お前2ちゃんねるに何か書かれているだろう」という友人からの裏切りがその途中にあったことを忘れてはならない。裏切られてもなお、孤独から交友に出る。

 そう、そうなった時に頼れる人など俺に本当にいるのか、信じたら裏切られないか。

 そういうループから、少なくともスーパーの弁当は毎日売られていて、商業的にはスーパーの人は当面裏切らないということが、唐揚げの品質が落ちたときに不満を持つか、払うお金が足りないか、仕入れが悪いか、などと思ってちょっと高価なおやつも弁当と一緒に買うということをし始めたところで今の安定につながっているのだ。

 証拠写真をネットにアップしているのに、書き込みとして詮索されて素直に信じてもらえないのを文章で釈明して、ゲームのことと文法が両方分かる人が実存しないというのが問題なのだろうな。俺が人から理解される枠を飛び出すほど特殊な人間性なのかも。そういう意味では人から理解される皮をかぶって人をだますことになるわけだが、分からなくても話を最後まで聴いてくれるというのが腕時計泥棒のN氏であったり、またゲーセン組から学歴組に歩み寄ろうとしたのも、その理解力に頼ったのかもだ。実査に友達の賢いヤツ以外にお医者さんにかかって何とかしてもらっているわけで、その中でゲームを続けて理解をしてもらうのにはゲーセンに通って100円を払うのではなく、家庭用で遊ぶという選択の一因になっている。

 しかしそういうことでゲーセンがまた商売敵となり、関係者との利害が不一致となる。当然、付き合い方は変わる。それらを克服して新しい仕事を見つけるまで、当面は今の仕事を続ける意味でプログラミング、音楽、マンガ描き、勉強、ゲームくらいしか俺には選択肢が無いような毎日を送っているのであった。まあテレビも見る。


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