子供部屋という建築概念はいらないんじゃね?

言葉の操りかたが下手なので、レッテル貼りと言われることもあるんですが。

固有名詞を使ってしまうともっとえげつないと思って濁した結果、曖昧にした分だけ当事者以外に自分のことかなと思ってしまう人に辛く響くという事案もあって。

それで先日ツイッターで「子供部屋おじさん」という単語が軽く刺さったんですね。

ああ、俺は多分そう見えるな、と思うのよ。

家選びって結構難しくて、24歳くらいで貯金できてマンションに越したんですけど、その時参考にしたのが友達の家で、だいたい親に仕送りもらって学校行くのにワンルーム借りてる感じの家しか見たことなかったんですよね。

かといって戸建ては手が届かないけど、彼女が出来て結婚も考えると二部屋くらいは必要なわけで、引っ越しにはもう一度貯金が必要だし、交際自体の成否もあるわけで。

さらに病気したのもあって、実家に戻ったら親が甘やかしてくれるのでまあ、紆余曲折はあっても子供部屋おじさんに現在進行系ではなっているわけです。

だけどね、その暮らしをしてみると、親に勘当されて出ていくという日本人の自立のシチュエーションではなく、親子二代で上手く回るケース、先祖代々の家を守るケースとかも世の中にはあってそれはそういう風に日本建築で上手く回るわけですよ。

そもそも、寿命とかから考えて二世帯住宅とか三世代くらいで大きな田舎の家があれば、そこでみんな暮らせるんですよ。

子供部屋というのはアメリカ的男性出稼ぎ型の経済様式主導の建築で、社畜となって働かせ続けるには大きくなった子供に住宅ローンの縛りを付けて借金苦に追い込む社会構造とでもいうか。もちろん、資本家目線でそのほうが好都合だから自立できていないと攻撃に回る論戦も自立優位に組まれるんですけど、本質ではないと思うんですよね。

そういう風に考えると、自立と称してマンションの家賃を納めなければ、貯金してりゃ自分の実家の子供部屋の壁を壊してもともと7人で住んでいたわけで、6人なり7人でスペースを分け合って住めるようにリフォームするカネが貯まったろうと思うわけ。

まあ、だからどうって話でなく「子供部屋おじさん」はちょっとささくれたなって話。


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