「お金持ちは美術品を持っている」というイメージ

俺は30代から投資を始めたが、20代はワープアだった。プログラミングという仕事の性質とか知名度がなかったので「コンピュータでカネをだまし取るペテン師みたいなやつだ」という世間の風評と、反対にICロックなどで厳重に管理された企業の開発室の中では「よく働く」という点を社長さんは気に入り、他の従業員は自分たちが比較対象とされるので嫌がった。

そもそも論で行くと、俺は名字から旧貴族であることが後から分かるのだが、時代とともにそういう身分制は滅んだあとだと思っていたので、商家であると思っていた。ゲーム機でもおもちゃでも周りの子より買ってもらえた。ただ、中学から私学に行くともっとえげつない金持ちの子供もいてそれが羨ましく恨めしかった。

ところで、どうにかこうにか会社勤めで給料をもらったはいいが、どう使えばいいか分かっていなかった。とりあえずラーメンにチャーシューを乗せたりすると美味いと思っていたのだが、親と喧嘩して駅徒歩0分出口と地下鉄の駅が直通というマンションを選び、それで近くなったからと大阪市内の色々な会社を回った。ネットは普及し始めていたが、メジャーではなく会社まで赴いてプログラムを組んで報酬製ではなく月給制だった。しかし仕事は納期単位なので、お金をある程度稼いだら休んで街をフラフラして遊んでいた。どれくらい使えば良いのかという簡単な計算が出来なかった。数学は得意な気でいて、複雑なシステムを組んでいるつもりが月給の上ふた桁が目指している人より多分低い、そして周りの奴らよりは高いという二桁の足し引きだけで自尊心が満たされていたし不満でもあった。

だから、節約しようとスーパーでもやしを買ったり、食事をときどきカップラーメンにしたり、そうしていたのに実家にいる自分の親より金持ちになることが親を超えるという意味でひとつ目標だったかも知れない。だから、キャッチセールスで絵画販売に捕まったときに周りの人に相談して、引き止める人も多かったけど親からは離れていたし、だいたいそういう働き出した若者を狙うセールスは親に相談されると断られるので「あなたその年になってまだ親に相談するんですか」と自尊心を刺激して売薬にこぎつける、という話がズバリと当たりながらもズバリ当てられたことに乗って断ってしまうとそれも負けたような気分になって、世の中の奴らがアレはみんな詐欺だと言っているならどうして買うやつがいるのだろう、自分で買ってみないと分からないこともあるだろうと思って結局買った。

今思うと、お金持ちが洋画を部屋に飾っているとして、それは何らかお金を持つに至る事情があって、余ったお金で趣味として絵画とかの美術品を持っているというものの順序があるんだけど、形式論理学で「お金持ちは絵画を持っている、だから俺も絵画を持てばお金持ちである」みたいな誤解をしていたとは思う。今は絵を買うより家を建て替えて、花を逆さにしたようなシャンデリアとかを飾りたいと思ったりするのだが、そんなカネはまだない。長いこと住む家に置くのに飽きのこない調度品というのを選ぶのには長く住んで自分が飽きるかどうかを自分で分かるか、故人が飽きなかったというような逸品を譲り受けるかしか無いだろう。

20代に出来た借金は30代に返り、その頃には病気で実家に戻っており最後の10万ほどを親に手伝ってもらった。ただ、マンションの部屋いっぱいに買い集めたものを実家の物置と自室に何とか詰め込み、高校生だった弟が「お兄ちゃんなんであんなにお金持ってんの?俺も欲しい」と言ってだいたいのものを親父に買ってもらっていた。

それから俺は何故に弟と姉ばかり可愛がられるのかということを研究しだした。そもそも両親は血液型がB型で、俺はO型で弟と姉はB型である。高校生物くらいで血液型の遺伝についてショウジョウバエの染色体で両親がBO染色体だとB型と顕在している両親からO型が生まれることはあり得るという話だが、親父の勉強が古いのか馬鹿なのか、俺が出来た時に「B型とB型からO型が生まれてくるわけ無いやろ!」と母親をぶったという話があったらしい。

だが、親父にそれを問い詰めて「DNA鑑定でもしてみよう」と迫っても無言で、ただ日本酒をあおっていた。親父が馬鹿なのではなく母親の嘘という考え方も今ならあるが。

結局俺はそれからオヤジのスネをかじりながら、また時々最初の勤め先であるメディックスの社長にまず電話を入れ「作りたいゲームが有るなんてワガママでした。今なら会社の売れ筋の競馬ソフトでもちゃんと組んで、出来たらノートパソコンにインストールして競馬場まで売りに行く覚悟です」というと「ミヤザワ、それはもう働いてんのとちごて遊んどんねん。ちょっと待っとき、連絡するから。そんで競馬でも打ってみ」と言って、それっきり連絡はないのだが、近所のコンビニの新聞欄に競馬新聞や週刊将棋が届くようになった。それから廃刊したものもあるが。次の勤め先の竹山社長は仕事を時々くれて、その稼ぎは使わずに全部貯金した。

その貯金で株を買って、少し儲けて繁華街で女遊びをするようになった。元手が崩れるほど遊んだ俺に、お気に入りのキャバ嬢ではなく近くの寂れた店でレースクイーンのような服を着て接客を受け、タバコをすすめられた。銘柄はラークのレギュラーで、もらった後に明るいところでタバコの箱をよく見ると金の王冠のマークが入っていた。

それから、親父には「小遣いは良いから、飯が食えてタバコとコーヒー、それに晩飯の時に缶ビール1本それだ買い物に行ったら備蓄して」とお願いした。

確かこの頃にスーファミをXRGBでパソコンディスプレイにつなぎ、キングオブドラゴンズをクリアして重装機兵ヴァルケンのハイスコアベーマガ全国1位のスコアを抜いた。

今もブレることなく、その生活の延長線上に間違いなく自分はいる。ふとメディックスの社長の話をもういちど噛み砕くと、作りたいと思う夢のゲームを目指してコンピュータの勉強をするのは仕事だけど、既に売れているゲームをバージョンアップするなど市場とか売上とか、そういう金勘定の方に回るとそういう社長職とか一般事務職のほうが遊びか仕事かでいうと製造ラインに乗っていないから遊びなのだと言うことかも知れないよな。


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