チェックボックスを追加していわゆる「当たり判定」海外では「HitBox」などと呼ばれる見えない矩形を見える化した。
何故知っていると思われるかもだが、カプコンCP2では既に当たり判定はプログラム組み込みでなく基盤機能になってて内製か外注かは分からないが、ゲームを組み込んでいる人から見ると改変できない「仕様」であった。
しかし俺の組んでいるストリートファイターIIもどきは全部ビジュアルベーシックのオンコードなのでいじり放題である。
今から思うとムキになって挑むほうがバカだ。それだけ無力だった。挑発にも弱い。
では何をどうすれば勝てるのか、勝ちとは何を指すかとも考える。カプコンの株主になって配当を受け取るというのはひとつのゴールだった。
しかし、今のカプコンの社長さんは既に代替わりしているので、なにかこう、してやった感としては弱い。
その昔に画商に騙されて絵の販売会社の株を買い配当を受け取ったとして、仕返しできたわけでなく甘い汁を余計に吸わせて新しい被害者を生むことになる。
橋下徹は高学歴ニートに「親に金を返せ」と授業していたが、俺の今の自由はまさに親父の世代の労働で獲得されたものだ。親が甘やかしてくれた分を働いて金にして返しても親に時間は返らない。俺は親父が欲しかったラジコンやバイクで遊んで、それでも暇を持て余してテレビやケータイに夢中なのを見ると、パソコン産業で働いた分くらいは何かの役に立ったような気ではいるのだ。
プログラム作業の話に戻ると、いわゆる「技が当たる」状態にまで漕ぎ着けた。
あと体調が悪く薬局でクスリを買ってきた。効き目はバッチリなのだがクスリで良くなっているだけなのに調子に乗ってまた仕事や飲食をいつもどおりにやってしまって今後悔している。
なんとなく、自分のやりたいこととネットで誰かが自慢していて自分にはそれが出来ず悔しい思いをしたことの区別が自分の中で付いていない。やられたことをやり返したいのと自分のやりたい事とはどう違うのだろうか。テレビを見てああなりたいと思うのは演者とカメラがひっくり返っているだけではないか。
俺は今、昔に憧れたストリートファイターIIをノートパソコンで作っていて、だんだんとそれが形に成るに連れ、いまはそれで楽しいが終わった後に自分の手に何が残るかの不安が芽生えて来ている。世の中の進歩は俺の仕事のスピードより速い。労苦より遊びの色が強いので、人の遊びと遊びの質みたいなものを比べて僻んでいるのかもしれないな。
ストリートファイターと龍虎の拳と餓狼伝説のどれがいちばん面白いか、みたいなことに費やした30年だった気がする。