ゲーム開発に限らず企業研究つまり学生による就活のための企業の研究でなく企業内で行われている科学技術研究開発の意味での企業研究というのは通例社外秘でメディアには明かされない。このへんがしっかり本を読んで勉強している人が成果を出せないのは苦学が実を結ぶ時代と違って企業に属していることが出版社が校閲した書籍で学ぶ以上の優位性を持つ時代だと思える要素だ。
ところが、現代は書籍や企業よりネットの時代になりつつある。ネットがあれば企業研究と同じことができるかと言うと、まだそうはなっていない。政府や企業がネットを監視して不利益情報が流出するのを防ぐからだ。
企業がやっきになるのは画像や音声などのデータの著作権管理だ。コピーが流出しないのは画像や音声が著作権で守られているから、仮に流出しても差し止め出来るからだろう。俺の失策はドラクエもどきのゲームを作ってネットにアップした時にFC2のサーバーごとデータを消されたのだが、その時に例えば裁判でも起こしてくれたらネタに出来るのに、無言でデータだけが消されて何の報告もないという現実に直面した時に確かに画像はドラクエのものを使ったのだが、プログラムは完全にオリジナルで、企画もオリジナルだったのにデータでなくコードも消されてさらにそれがドラゴンクエストビルダーズの企画とおぼろげに似ているのだ。
完全にコピーされたなら訴訟できるが、証拠を消されてそしておぼろげに似ている時にどこまで戦えるかと言うと、画像や音声の一致は法律により守られるが、プログラムには基本的に著作権や特許が認められづらく、まして企画となると前例はストリートファイターII対ファイターズヒストリーでカプコンが勝ったとかビートマニア対VJでコナミが勝ったという似せて作っただけなのに大企業が強い弁護士を付けたらカネで解決したという事案だけが思い出される。
小規模開発では先端ゲームにボリュームで敵わない。大企業は人材よりデータリソースを引き継ぐことを目的化していて、人が作ったものを会社の財産にして著作権で守り、作った人は勝手に会社をやめたことにして新しいやる気のある人と入れ替えて開発を継続する。
働いても働いても月給が入ってきても自分で作ったデータが会社のものになるだけで作りためた実感がわかない。新入社員だった時は終身雇用を信じていたので会社のために作りため出来たが、いったんフリーになってからは我が身をいかに守るかも同時に考えないといけない。
そうして自分の命を優先に考えると、会社人間が会社から給料をもらっているので自社優先にものごとを進めていくのも理解は出来る。特に弁護士なんてのは事件が起こってくれないと何の仕事もないカバチタレなのであるから、データの流用などをしてくれるほうが有り難いのだろう。つまりコピーや類似品の流出は企業付きの弁護士有利になるだけなのだ。
そう考えると会社の作るものより俺の作ったもののほうが良いという実物提示が必要になってくるので辛い。どこかに雇われ根性が残っているようでは戦えないのだろう。
勝つためには「こうなったら勝ち」という明確なゴール設定が必要である。麻雀ゲームを作った時はダウンロード数でベクター3位まで達成した。それで多くのソフトハウスの作品より勝ったのは間違いない。あの時の喜びは既に忘れてしまった。家族や主治医に俺が部屋でゲームを作ってネットに発表した話をしても俺は精神病と診断されているのでウワゴトを言っているのか何なのかという対応でしか無く、ただダウンロードの数字が伸びて携帯に届くだけなので売れたとか祝福されたような実感が全く無いのだ。
今回のストリートファイターIIを模して作り始めたゲームもゴールがない。ただ、手持ち無沙汰に手慰みで作っているだけだ。果たして今していることが夢であったと子供の頃に自分に見せてやれるだろうか。こんなことになっていると分かったら、違う人生を選ばないだろうか。