風呂とお酒とタバコとコーヒー

 今日は寒くて寒いと思考が冴える。俺は25歳の頃にユニットバスのマンションに住んでいた。シャワーで風呂を済ませることが多く、のちに病気となった。

 家の風呂は家の建物の外に別棟としてあり、とても寒いので入るのが躊躇われるときがある。特に考え事をしている時とか、風呂に入ると思考が飛ぶので嫌な時もある。さあ入ろうと入るのではなく、親父が風呂に入る時に一番風呂が寒いので俺に先に行けと言ってあったまった浴室に入りたいのだろうなと想像するのだが、そのくらいは気を利かしている。だから今日の風呂のタイミングは間が悪いと思ったが、結局入って来た。

 ぷはー、風呂に入ると思考が飛ぶ。これがプログラマとして仕事に追われている時には救いだったのかもしれない。俺は酒も飲む。主にビールだ。風呂に入ると思考が飛ぶのが嫌というのと、酒を飲むのは矛盾している。酒も嫌っていた時期があったが、宴席で飲みつぶれたこともある。いつかは断っていたが、実家といっても商店のうちらであるが、そこで親父とふたりの晩飯になると缶ビールを二本持ってくるので一緒に飲んでいるうちにもう自分ひとりでも辞められなくなった。

 薬効的には思考が鈍化する風呂と酒の反対に思考が冴えると思われるタバコとコーヒーもその意味で好むのであるが、大体からして俺の体調不良はタバコとコーヒーのせいで、しかしまあ自分の好きなことをするのに学校に行くより風邪で休んでファミコンして音を聴いた同級生から「ズル休みだ」と言われたこともあるが、風邪をひくと休めるから体調管理に気を遣うのではなく風邪になって休んでしまいたいみたいな性格だった。病弱というのは体質ではなく、そういう所もあったと思う。

 だから会社を辞めてからは、最低限の健康には気を遣うようになり、医学、薬学、栄養学などを自発的に学ぶようになった。ただ、例えば俺の鬱の原因がストレスだとして、生理学的には存在するストレスが栄養学的には物質としては認められていないように思う。だがまあ、思考が鈍化するので嫌だった風呂は入ってみると体感的ストレスが著しく緩和されていると思う。

 風呂に入る前はNHKでバラエティ番組をしていて、心底出演者の言っている事やしている芝居がバカみたいだと思ったのだが、風呂から上がるとバカ番組が心地よい。

 まあ、思考には時々ハンドリングが必要で、曲がる時にはスピードを落とさないとはみ出すレーシングカーのように時に鈍化させないと加速しても思考の筋道からして間違ったというか、ただ考えているうちにどうしようもなく取り留めも無くなっていることがあって、休むことで落ち着きを取り戻していくことがというか、あったまって楽観的になっていくことが大事なのかもしれないなと。寒いとダメだよね。暑いのもダメだけど。

 なんでもパチスロ屋では人が最もギャンブルに傾倒する適温に空調されているとか、何かで知ったことがある気がするが、考え事にも温度の変化は影響して、雪国と南国では全然文化が違う気がすんだけど、それは単に発祥から伝播の経路と距離の問題で、別にフィンランドが寒いから賢くてハワイがあったかいからバカという事でもないかもしれないよなーとか思っていた。お釈迦様が生きていた頃のインドと今のインドもまあ違うだろうし、欧州には行ったことも無いからね。いやインドもないが。

 脱線したかもだ。昨日はブログを1日休んだが、ストIIの攻略の分かりにくさを緩和する表現として「善後策」と「リスクテイク」は必要だという話になった。将棋の「論理的最善手」みたく漢字を並べて脅しているだけで、将棋というゲームが「論」ではない以上そこに論理はなく、盤と駒を数学的に行列で表現して数理に落とし込んだところで、それをコンピュータで計算して「プロに勝った」という成果は出ても完全解析がまだ見通しが立たない以上最善手が最善たる所以も分からないし、だいたい先手が2六歩でも7六歩でも結局先手必勝になるかもしれないわけで、そうなったらなったでどちらの手が最善たるか決めようは無い気もする。

 そうすると俺が書こうとしているのも俺のストII観であって、ストIIのプログラムの解説とともに、それを人間とAIもしくは人間と人間の対戦をする媒介として仕様を理解したその上で俺の見ている勝ち筋なわけで、そもそももう話に入ってくる人もいない。

 書き始めた頃は競う仲間がいたし、人気が出たときには俺が知らないけど相手は俺のことを知っているプチ有名人状態となり、まあ簡単に言って筆者対読者の1対多の関係で勝負をして面白くなくなり台を叩くくらい怒って親しかった人とも疎遠になったという事件がある。負けるときは負けるのだが、ブロガーとして人気が出たときに自我が膨れて自尊心が強くなり、負けて強い相手に教えてもらっているという謙虚さから100円を惜しまなかった頃と比較すると、勝ちまくるようになって奢って、そうなってからまた負かされた時には普通の人のように負けたら腹が立つように心境が変化していたのだ。

 色々な人とやって勝つところには勝って負けるところには負けていると分を弁えるということが出来るのだが、勝ったと自分で思えるところから降ろされるのはその時にはそれ以上ないほど不愉快であった。まあ今の方が負けるときには負けるだろうと落ち着いているとは思うのだが、歳を取ると感情のコントロールが効かない時も出てくる。それお爺ちゃんちゃうの?46歳で既にそうなってんの?とは思う。

 善後策とリスクテイクな。まあゲームの中でそれがどういうことかというか、そのふたつのキーワードがどういう意味か自分で調べてゲームにどう当てはめるか考えてみると分かるんじゃないかとも思うんですけどね。順序的にはリスクテイクと善後策だが。

 まあ今日もいざかや一心さんのおいしい料理を仕出しで持ってきてもらって缶ビールでいただく予定が入りましたので、風呂上がりのホワホワで書いているこの投稿もここいらで締めようと思います。生活の中からストIIの割合を減らしても、結局そのことについて何か書くべきだろうと考えることも多いんです。ブログのアクセス統計からいちばん求められている気がして。でももう新記事あまり読まれないのよね。ログが多くて。昔は共感できたけど、いつの間にか訳の分からない事しか言わないヘンテコ先生になってしまっているのかもですねー。

 善後策は「フォロー」と英語で言うんですが、いまSNSが発達してフォローの意味が変わっているからね。言葉は移ろいゆく。ヒトコトの定義ですら曖昧だけど、いつか意味が分かって伝わることを願って。


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