ゲームそれ自体の面白さより人がムキになったりする様が面白かった

こんなことは内心に秘めるべきことかもしれないが敢えて書く。

ストリートファイターIIとか餓狼伝説スペシャルはそれだけでも楽しい。

まあ、時代が過ぎて古びてしまったが、16ドット平方の小さいキャラを動かすチョコマカしたそれまでのビデオゲームと違ってボタンを押すだけで大きなキャラのアニメを動かすことが出来て、キャラのアニメの意味での動きとゲームの戦略的な意味での動き、ゲームを盛り上げる効果音やヒットストップなどの映像効果にステージごとに凝った背景とテーマ曲とまあ、当時100円で遊べるゲームの中では軍を抜いて丁寧に作られていた。それだけで面白くてみんなで台を囲んで夢中になった。

思い出としてはそこで止めると美しいのだが、男同士だからというか誰が強いかゲームで決めるという話で仲間内でいちばんを取れた。自分で自分がいちばんだと言って説得力があるのかどうかは定かではないが、ゲームでいちばんを取るようなやつはゲームは得意でも文筆は得意でなく、それを取り巻く同人屋に人気がないと好きなように意地悪く書かれるものである。藤子不二雄Aが自分が憎んだ人間をマンガの悪役に仕立てたように、また野球のように公然とギャラリーがたくさんいる環境でなく、暗いゲーセンで台を囲んでいた人以外に証人の立たない世界、ゲームで勝っても沈黙で抹殺される。

それでも、そこまで周りが見えていなかった俺が大勢のギャラリーがいるわけでもないのにゲームにのめり込み、勝ち続けるよう練習をやめなかった動機はなにかというと、相手も本気で勝ちに来ている相手を負かしたときの精神的な辛さを相手に背負わせることが快感だったからだ。俺は当時ヒョロヒョロで殴り合いのケンカなど勝ち目はなく、また小学校六年でクラス成績いちばんだったが生徒会長の選挙で負けた。勉強で勝っても選挙に負けた俺は進学校に進んだことが唯一のプライドだったが、京阪エリアから優等生が集まる学校で自分の勉強に対する身の程を知るとともに、自分でも勝てる何かというものが良い味だったのは否めない。

それはもう、ゲームの中に住んでいた。ゲームをしていない時は上の空でゲームの画面を思い浮かべ、ゲーセンでゲームの中で勝ち、愚連隊に絡まれて危ない目にあってもゲームで勝ったのは俺のほうだという自分の身に対して脅威を与えようとされるほどにザマアミロと増長するような感覚があった。

また、相手の条件を飲むのも好きだった。相手は絡むものの暴力は振るわず、ほぼ脅迫のような格好でゲームにルールを規定してくる。「その技はやめろ」というのだ。それでも、それを封じても勝てるという別の道に勝算が立った場合は受けた。そうすれば勝てると思っている相手の思惑を外すことはフルコンタクトで勝つ以上に快感だったからだ。

だが、そこまでゲームの中の勝負と、それをつまらないものではなくそれこそが土俵であるという精神を持った競争相手というのは少ないながらも居た。

それらを全部ぶっ壊したのが自身の就職だった。何をやっても勝てないからゲームで勝つのに快感を覚えていた俺がスーツを着て谷六のオフィス街で働くことになった。俺としてはプログラムやグラフィックの勉強をしてゲームクリエイターになって自分が勝てる世界を拡張するつもりが、ゲーム業界での一軍になれず負けた感覚だったのだが、ゲームプログラマーを目指してした勉強がいつの間にか一般業務を片付けるのに充分すぎるくらいになっていたのだ。

それでも、ゲームは続けた。鬱憤晴らしにド付き合いの単純なゲームのストリートファイターはもってこいで、充分に昔取った杵柄で勝てたからだ。

そうなった自分はもう中高生のゲームで勝つのに全てを捧げる人ではなく、昔ゲーセンで溜まっている時にやっつけていた一般人の枠なのだ。

黙っていればどんな過去を背負っているかは人間なかなか分からないものである。だから俺はひととき過去を捨て去ろうとした。捨てると言ってもゴミ箱はない。自分の過去を知る人間との関係を絶ち、証拠を隠したり壊したり、まるでサラリーマンを目指してサラリーマンになったかのような過去を求めた。

それは俺の過去を知っているものからしたら、と言っても愚連隊がエリートになったというような外観からの成功体験としてでなく、ゲームの中の世界で意地を張りあった競争相手には志半ばで道をあきらめたことを悟られる、それがたまらなく嫌だった。

今俺は、会社をやめて親父の自営業を邪魔しながら退屈で夢中に成れるものがない自堕落な生活を送っているのだが、かといってプレステで遊べる格闘ゲームにもう一度夢中になれて面白いかと言うとそうでもなく。

なんであの頃はあんなに面白かったのだろうと振り返ると、文章の冒頭から少し進んだところに書いてあるとおりなのである。


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