選手の士気を保つために尽力している方々へ

タイマン型の対戦格闘ゲームからゲーマーコミュを形成して、最近では多人数戦に。

この中で、いったい誰と誰が何のために陣営を分けて競い戦っているのか考える。

もともと俺は「俺様最強」の夢を見ている周りの見えないボンちゃんだった。対戦型の格闘ゲームで勝って良い気になっていた。

それで、対戦型ゲームにのめりこむ一方で、冒険型ゲームのドラゴンクエストでお姫様を魔王がさらってザコ敵をお城の周りによこしてきて、それを打ち倒すことで徐々に成長してやがて魔王の城に乗り込んでやっつける。

こういう世界観でもって、家の近所のゲーセンで周りの人をやっつけて、自分では勝てないもっと強いゲーマーはいないかと電車と地図でゲーセンを探して渡り歩いてやっつける。

そういうことを繰り返すうちに、最初は遠い世界の出来事だった格闘ゲームの全国大会優勝が少しづつ近づいてくることが人生のロードマップだった。

しかし高校を出る頃にはブームも去り、祖父が他界して親に内緒のお小遣いももらえなくなり、バイトをしながらどちらかというと格闘ゲームはそれはそれで別のゲームを買って遊ぶ。特にドラクエ系ゲームをクリアで辞めるのではなくどこまで強く出来るかも楽しかった。

世の中で働いている人の大半はゲームは子供のおもちゃで、それで強かろうと大した意味はなく、将棋や野球ならプロが居るので特別に見られるという風に俺は見ていた。線引は業界団体があってプロが居ることで、ゲームに人間力がどれほど反映されるか、頭が出るのか体が出るのか、その奥深さに於いて自分がムキになっているテレビゲームでもそうであると考えた。

やがて、下火になったゲームでイベント企画している界隈と盛り上がって、懐かしのテレビゲームをプロスポーツ団体のごとく盛り上げられないかという話になった。どちらかというと開催サイドと話をしていたのは、その頃に仕事を別に持っていて、お金を出す気があったから。

ハッキリ言って、格闘ゲームの大会の出発点はテレビゲームをして育ったものの社会への反旗と悪戯心から羞恥心を隠すために実業の体を取っているケンカなんだよな。

だから今の俺は選手同士が揉めていても、それをどう嗜めたら良いのか分からないし「ゲームがすごいことであること」を証明するための取り組みにおいて、プレイヤー同士にどんな利害があるのか、いわゆるガチの選手の視点は全員が「俺様最強」を目指す以外に理解できない。

理屈の上で俺様最強をみんなが目指すと全員敵になる。けど、大会が開けるほど人が集まるのはそれだけ人の輪があるからだ。それが近頃は多人数ネットゲーやSNSなどでみんな最強同士の喧嘩していたコミュでチームワークの試される要因があるとそれぞれが「俺強いのにアイツ下手だから負けた」みたいになる人をどういう風に嗜めるか、また本当に弱いなら鍛えて育てるという発想になったときに無益なものに対してどう士気を高めるか。

俺はここで、士気を高めようと尽力しているなら、それに対する何らかの利をあなたは与えることが出来ますかと問うてみたい。格闘ゲームのコミュに居たとき、もともと金持ちのボンちゃんの寄り合いにサッカー少年みたく夢を見て、強くなって、大会で勝って、だけどメシは食えない人から「カーメンさんどうしたら良いっすか?」と詰められて、ちょっと飲食店に入って「1食くらいならおごれるけど、この先ゲームして暮らしたいならバイトか何かして、自分のお金でゲーセンで遊ぶくらいしか俺にはチカラは無いんやで」という話をして詫びた。

ほとんどの悩みは自分が1歩引けば何も問題は無くなるような悩みではある。夢を見てきたのは自己責任だけど、夢を見せるというなら、そこに夢を追う人への責任は発生するだろう。それだけの資金力と言うか采配と裁量は俺は持ち合わせていない。残念だけどそれが今の現実。

せめてメシを1食おごるのは博徒の世界で言う「一宿一飯の恩義」ってやつで、無益なゼロサムゲームへの士気を高めるせめてもの報酬なんだよな。


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