今日のカプエス2(Aガイル・ギース・ベガ)

 Aグルーヴが使いこなせるようになると見え方も変わる。

 アツい対戦で「読み合い」と思っていたものが、論理的には得失点差のあるジャンケンのようなゲームで、幾何学的には一見詰んでいる勝負を無敵技でまくるアツさ。

 それは決めながらアツいと思っているだけで、詰将棋のように勝負を考えている人からしたら寒い行動でもあった。寒いと思った人が辞めたせいで、残った人は理屈が正しかったと残ったもの同士で認め合ったが、既に対戦ゲームとしては下火だった。

 下火原因のひとつであるオリコンも、家庭用ゲームに流行が移っていくことを見越して作られたとも言われていて、まあ流行が移ってから偉い人がそういったのかもだが、実際に格闘ゲームを対戦ではなく家で遊ぶという行為に寒いものを感じながらも、ゲーセンでアツくなったものを冷ます機能はあった。

 シューティングで家でスコアが思うように伸びない時に、具体的にハドソンのキャラバン2分間予選や5分間本番の練習で「んもおー!」ってなるような苛立たしさや歯がゆさを格闘ゲームを家でひとりでやっていても時たま感じるのだが、それだけのめりこめればひとり遊びとしては成功かもしれない。

 ギースで邪影拳二段目キャンセル連発のオリコンをマスターして、それと今まで使ってきたガイル、オリコン強キャラのベガで組んでGP1600で裏ボスを出して、ギリギリで勝って、独り満足しただけでは物足りずこうしてブログを書いている。

 それは、練習して強くなったらゲーセンや大会と下手なうちは思えたが、大会は一攫千金や放送のインセンティブを目当てにするならともかく、このゲームを対戦で実費でするのは馬鹿らしいと思うように変わってしまった。

 いや、稼働当時からキャラ差グルーヴ差の近いC対戦なら良いがオリコンを決めてくるAグルーヴ相手にカネを出すのはどこか腹立たしいとも思っていた。それでも1000円くらい連コインしたことはあったが。

 そこでひとり、勇気を出して「いや、オリコンおもんないって言うけどスパコンで負けるのもおもんないっすよ」と言ってくれたので、そこからC対Cやって辞めた。あの時から、格闘ゲームはもう家でひとりで練習するものなんやなぁ、と思ってたけど、ネオジオ格闘ゲーム稼働期から周囲のゲーマーでパソコンもネオジオも持っていない人を数えると、自分しかいないことを後から知った。

 そこで肩を持ってくれたのが自分が中学の頃ストIIで勝って100円取り上げたチャリガキどもで、みなすっかり大きくなってゲーセンでもストIIで対戦辞めて筐体に100円玉予約入れて高校生から中学生から小学生まで歳の差はあってもルール守って遊んだわけで、それも今みんなプレステ持ってんだから家でやりましょうってなった。

 それで家に集まってやって、これカネ入れてたからアツくなってただけで無料でやると不毛だなと思う面と、それでも今までカネが無くてガチでやれなかった相手が家庭用でガチってくれるならよろこんでやりますよってのに意見が分かれた。

 俺はと言うと、ゲーセンでカネ入れてた側からバイトでもらう側になって、もらって返してだけど勝った分だけ店の金=給料の元になるということで、いつしか100円入れてもらうために一生懸命やって勝ってナンボって考え方に変わってた。

 それが対戦してもひとり用でも同じお金となると、誰かの家に移動してカップラーメンとかコンビニ飯食いながら、どこまで相手がガチかよくわからんタダ試合を続けるのにけだるさを感じながら、それなら気兼ねなくできるひとり用で練習しておいて、対戦はもっと大事にしたいって思ってひとりでやりこむようになった。

 その結果が「このゲームで対戦して100円払うのは馬鹿らしい」という意見だ。

 オセロのように、外堀が変わると意見も価値観もクルクルひっくり返る。有言実行とか発言責任という言葉で口証が取れたら、言ったやつをどこまででも不利に追い込むってのが社会的な戦い方としてどこまで正しいか。それは俺には分からない。

 言葉でも負けを認め、ゲームでも負けを認めれば、責任とか義務から逃れて自由になれないものか。ゲームで勝って賞金を得てカネで金銭的自由を獲得するより近道か。

 「プロボクサーになるとかいってとんだ欺瞞だ。君には親の後を継ぐという逃げ道が初めから用意してあるじゃないか」

 って話もまあ、相手の退路を断つためのもので、ボクシングの世界でもよほどのことが無い限り人生に退路ってあるものじゃないんですかね。人生クソゲーって戦争で死んだ人が言うならわかるけど。まあ遺族の方もおられるとも思いますからこの話はここまで。

 ストリートチルドレンで店のサクラに100円台に入れてもらって長持ちさせて見せる仕事をしているものを「乱入対戦で殺すのは戦争だ」ってのは、サクラと知らずゲーセンでゲームしてるゲーム好きなパソコンとか持ってるオタクの友達だって思ってそうしてしまったけど、あとあと事情を知ると都会のゲーセンはそうでもないみたいで。

 戦争では無いと思いますが、経済競争の中で「ゲームで勝つ」ということに100円払ってもらえるなら、そこを基準に商売は色々な形があるんだと思います。

 そこで、対話路線ではなく対決姿勢を取り続けることで経済競争で決着したわけですから。まあロシアとウクライナは本当に戦争なっちゃったけど、先生のことを教授としたり科目や時限を単位と言い換えたり、高校までと大学で使う言葉を差別化して権威を保っているのが学歴の違いによる疎通性の阻害になっていて、文句言うためには勉強しなきゃいけないって言うけど、学校で教える言葉に進級による差をつけるから言葉が通じなくなってしまっていることの責任はたとえ国会で高校大学の無償化が進んでも、無償の高校大学に受験の成否で進学と留年があったら、子供の数だけ学校の席が無いと埋まらない溝なんじゃないかなって思ってるんですけど。

 まあ、お偉方の責任にするでなく俺も相手が分かってないのに言葉を真似て話していることが見抜けず、対話の糸口がつかめなかったってのには責任あると思います。


🄫1999-2023 id:karmen