悩みがなくなるとブログに書くことを悩む

過去の俺には誰にも話せていないことがたくさんあった。

それを吐き出すのにネットというのは便利だったが、見ず知らずの人間が自分の個人情報とか趣味性向や生活習慣を知るリスクとも向き合うこととなった。ただまあ、そういうのは芸能界とかでは既知の問題なので、いちばん危ない時期にはテレビに出る芸能人に自分の特徴を真似られているような感覚になっていたが、その効果で漠然とした人物像が俺の個人情報ではなくフィクションのキャラの特性であるかのようになり、俺に向けられた匿名の攻撃性が和らぎ、俺はどこにでもいる普通の兄ちゃんになれたような気がする。

誰にも言えない事を飲み込んだまま生きているというのは結局の所は気を許せる家族や友人がおらず、作った人格で日々を過ごしていたということに他ならない。それと比べて、近頃の俺はかなり常に素である。子供っぽく生きている。小学校の高学年から中高生でのキャラ作りに失敗し、バイト時代にハメられて、親のすすめもあって入ってみたコンピュータの専門学校というところがどこか幼気なまま歳を食った人間の集団で、そこに入ってみて反対に大人びるべきだろうとゲーム業界より一般企業を選んだのだが、道に後悔があり30代を越してみてゲーム大手に入ってみると、職場の中でお金や納期を仕切る人とゲーム作りに専念したい大人と子供の戦いは常に進行形で、それを傍目に見る俺も大人か子供か判別のつかない生き物になったが、近頃の生活を近隣住民との接触から考えると、子供たちは俺を大きい子供として遊び相手だと思っているようだ。そして子供ながらに大人びたものはそういう大きい子供をいじめようともしてくるのだが、学校のそばでもないかぎり数人の子供なので、大きな体をしている俺からすると物理的には怖くないのだが、心の痛い所を突くような言葉を投げかけられ、やはりこれもこのブログのような個人情報漏洩システムを持っている弊害かなと思ってやり過ごす。

 

 

話していると楽しくなって盛り上げようと話を盛ってしまうみたいのが分筆でも乗るとそういう気分になることはあるのだが、そこんとこセーブしながら書いていかないと後悔する。日々の積み重ねの大切さは分かっているつもりだが、誰でも読めるブログに日々のことを書くと誰かに意図を先回りされることも有り得るわけで、失敗例から学んできたことがそのまま個人情報のリテラシーになってゆくのだろうな。理由なく止められている条項を犯してしまっているので、破って我が身に災厄を受けてから振り返って止められたことを思い出すのだが、身をもって理由を知れたことそれ自体は収穫だと思う部分もある。波風立てずにいるより面白かった。強がりかもしれんが。