ニューラルネットワークについて勉強した

クリスマスをひとりぼっちで過ごす「クリぼっち」の昨晩。

コンピュータ将棋界隈から新しいバイナリのプレゼントを受け取った。

しかしMac OSXのバージョンが古いためうちのマシンでは起動せず。

さてどうするかとエラーメッセージを解読したりしていたのだけれど。

腹が減りスーパーまで夕食を買いに行くとお客さんや店員さんもいて。

クリスマスと言っても仕事の人は仕事だし皆パーティでもないものか。

少し多めに買い込んでしまった夕食を平らげて動画を見ていた。

ミュージシャンなんかはまさにクリスマスが繁忙期なのかもな。

 

 それはそうと、寝てしまって起きてから機械学習について勉強しだした。どうにも最近はPythonを操ってディープラーニングしないと仕事にならない、そんな風潮だ。

 PythonC言語の構文を簡略化したコードからC言語のコードを出力するものなので、まあ分かる。だが機械学習とは。プログラム言語が変わったからと言ってコンピュータの扱い方に何か劇的な変化があるようには思えない、考えられないからだった。

 そして将棋ベーシック改はVBで作ったが、VBは発展系がExcelVBAでエクセル将棋なるものが後発でリリースされたようである。VBもエクセルもユーザが多いので、そういうもので作ってオープンソースにすれば底上げ的な発展になると考えたが、勝ったプログラムがPythonで書かれたとなると時代の潮流自体がPythonに傾き、思惑は多少外れたことになる。

 それで機械学習以前にニューラルネットワークがあるわけだけど、対象のデータのまとまりに複数の線形変化つまり関数で値の数を減らし、アウトプットとして読みやすいデータを出力するためのモジュールをどうやらニューラルネットワークと呼ぶらしい。

 そうすると将棋ベーシック改のモジュールも盤面から評価値とそれに基づく差し手をアウトプットできるわけで、コードの一部はニューラルネットワークであるとも言えそうだ。ただ、俺の時代ではそれはモジュールと呼ばれた。俺はモジュールもプログラムと呼んでいたので、数行程度の仕事だと誤解されてきたのかもな。

 さて、真面目に半日ほどニューラルネットワーク機械学習について考えた。考えるより計算機を使った方が簡単だから計算機を採択するのは分かる。しかし、俺の環境では学習以前に問題対象となるデータを集積してマイニングすることがまず難しい。取集方法はネットで手繰り寄せる、データベースを打ち込む、写真をあちこちで撮って集めてくる、などなど考えられるが、ここは将棋についてもう少し掘り下げてみた。

 将棋を盤面で見て、盤面から駒を取り出して駒の合計点を計るのが旧来型の評価関数である。対して、駒がぶつかり合わない序盤に於いては評価値が先後同点になるので、旧来型の評価関数では同点手ばかりで判断がつかず、定跡を用いてきた。それに対して棋譜データを収集して勝敗を基準に教師データとして定跡を学習させるのが近年のブーム。これはつまり人と機械が数々の対局を織り成し蓄えられたデータを爆速のハイスペック機で食いつぶす行為なのではないかとひとたび考えた。

 有意性はどれくらいあるだろう。将棋を勝ち負けに二分して、盤面ごとに無数にある手をひとつもしくは同点の候補手に変換する線形巻数。それは盤面から1本の数式で解くものではなく、プログラム、関数、モジュール、ニューラルネットワークまで来てまだ解けないから研究は続いている。そうしているうちに扱うデータが盤面ではなく、初期盤面から無数に広がる棋譜にデータが膨張して、そしてそれが勝敗をもとに勝利手に収束することが目標であったけれど、どうやら同点手が多く引き分けもあり、やや古い言葉かもだが複雑系になった。

 本当に機械学習は役立つだろうか。自動運転にも応用されそうだが、それもカメラやセンサで感知した無数の情報をアクセル、ハンドル、クラッチ、ブレーキ、ウィンカーなどの駆動系へのアウトプットに向かって収束させてゆく行為だろう。タクシードライバーがいなくなって、機械学習エンジニアが増える。もちろん完成までは仕事があるだろう。だが、モジュールが完成して人件費を節約することでコストカットになるとして、そのコストの財源が労働者なら、それがドライバーでも技術者でも失業以外の落とし所がない。

 もちろん、社会制度から変えてしまうと自動の機械が仕事をして人は遊ぶという理想郷は嫁見られるだろう。その次の問題が今の政治課題であるエネルギー問題だ。だが、それは機械完成後の問題であって、当面はそれよりも技術者と代替エネルギー研究者が労働者となる。タクシーもまだ走っている。先廻りはできない。

 人工知能が将棋で人間に勝つ。それはかつて目標であった。そしてそれが達成されると共に将棋指しは神格を失った。そして神格を帯びたコンピュータはフォンノイマンという発明者やビルゲイツやスティージョブズという創業者の偉業を讃えるものとなったが、その実情は無数の技術者の賃金労働の成果であり、そこで頂点を選び直すとなると政治家あるいは資本家に技術開発費を出してもらわないと、つまり製品として売って回収しないと財源が何もない労働者の集団なのである。

 将棋に勝ったら、次は政治にコンピュータで勝たなければならない。次の課題は機械学習ではなく扱うべき対象データの収集である。この点でGoogle社の地球データとAmazon社の流通データにFacebookの個人情報で日本は後手に回っている。だけどアップル社とマイクロソフト社は生産販売がビジネスモデルで、日本には下請けという道が残されている。富士通は既にアップル社の部品もマイクロソフトのOSが載るハードも生産している。そして近年はGoogle社も生産販売のモデルで収益を求め始めている。

 実は将棋の次に政治で「勝たなければならない」というのが誤前提で、負けながら買ってもらって食っていくという戦後モデルでまだ日本のITは動いているのかもしれない。


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