論理回路から電子計算機へ

 俺は冗談は交えながらもノンフィクションのブログを書こうと心がけている。真摯に向き合うなら、例え話や冗談は避けるべきかもしれない。ここは悩む。ユーモアのひとつもない話が読まれるはずもないという前提が先にあるから。これらの悩みは結局は世の色々の話が本当か嘘かというところでグルグルと渦を巻いている。

 本当か嘘かというのは深遠な問題である。人の言葉は皆企みを持つものだから、言葉を起点にして得られるものは何かというと「モノ」だけが本当である気もする。嘘でも好きだと言って欲しい、結婚していなくても不倫関係で肉体関係まで進んでしまったら、では遊郭での遊びは。本当か嘘か嘘か本当か。論理学というのは物事の真偽を言葉の辻褄で突き止めてゆく学問である。その発展は人が言葉を覚え、言葉が文字として記され、やがて農奴と貴族に社会が分断されてから、実体験ではなく書物を起点に社会を学び、言葉から真偽を解き明かさなければならないような学者が職業として登場してから発展したものである。

 ところで、俺は情報処理技術者である。コンピュータの取り扱いをする下級の公務員だ。コンピュータは原則として通電を1としてそうでない場合を0とした二進数の数学とセットで考えられる。コンピュータが二進数で考えているわけではない。電気回路に通電して、電気が通っている箇所を真値と捉えることで、電気が通ったかどうかで真偽を判断する機械なのだ。ホンマか嘘か、ウソのウソは本当でホンマにホンマにホンマは本当でホンマにホンマにホンマやけどウソはウソで、ウソやけどホンマはホンマで、ウソやけどホンマっていうのはホンマとちごてウソやねんくらいになってくると、だんだんとワケがわからなくなってきて電子回路を使ってみて、電気が通ったからホンマだろう、みたいな機械であり、基本的に使い途は無い。

 このどうしようも無い発明を便利にしたのが、二進数なのである。ホンマは1でウソは0とするのではなく、0と1でも指1本分数は数えているわけだから、0と1で1+1の2は数えられない。そこで素子を増やして、2を数えるためにもう1個回路を増やして通電で2を示す回路を併設して、そこが通電したら2と数える。けど、便宜上通電は1なので、00=0,01=1,10=2,11=3として素子をさらに増やすと指-3本目ここは3ではなく11で3を数えられるので4とする。000=0で001=1,010=2,011=3,100=4,101=5,110=6,111=7で4本目の指が8。これが指8本分並んで有名な1バイトで0から255まで数えられる。ちなみに後ろになったが0と1の素子ひとつが1ビット。

 それを10進数で8桁だから16ビットまで並べて演算回路と組み合わせ、液晶の棒線7個でアラビア数字を模したものが電子計算機だ。ホンマか嘘かではカタの付かない問題でも、学者の頭ではなく商人の頭でカネにしてカネなら数字なので数字で計算して損か得かに変換したら論理回路にも使い道があるのではないか、珠算の出来ないものでも道具で計算ができる。これが電子計算機だ。

 電子計算機の歴史は浅く、数と言ってもカネしか扱わないのはそれがそういう頭だからだ。学者は学者で言葉でものを考えて、嘘かホンマかを求めている。俺の20代の仕事は公文書をホンマであることを裏付けるため、計算機がホンマにホンマやと打ち出しますという証明のくだらない話で、文書が何であれそこに一級建築士の印鑑が押されたら建設許可のホンマが通るので、とりあえずは一級建築士事務所に向かって書類がホンマにホンマにホンマであることを示せればそれでお給料がもらえて、定食が食えたのである。

 しかし建築士と言えど定量的に仕事があるわけではなく、ゼネコンが政府機関から談合でお金を取ってきてくれるので、お釣りが計算事務所に回ってきているだけ、ホンマかウソかで御上を説得することは出来ない。計算機は当時1台約50万円、そこに俺の給料が月給25万円、計算機メーカーの平均月給が22万円、ではその電子文書が本当にメーカーで二ヶ月かけて生産した計算機1台よりも価値があるのかね、ナンボのものだというところで俺は富士通に転属となる。そこで俺は初めて社員食堂でランチの値段を自分の頭で計算し始めたのだ。

 情報処理技術者は旧通商産業省、現経済産業省の管轄である。俺は技師として、まずはお米の値段からランチを起点に経済を考えることとした。ホンマか嘘かではなく損か得かである。


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